2014-01-01から1年間の記事一覧

2015の年頭放言

人をやり始めてから間もなく69年になる。 ヒトなる言い方もあるが、同事に人間とも言うから。やはり周囲と同じことをやらされる。 この年頭放言も、年賀状の延長である。現職時代に始めた人並みのことだ。 従って、過去1年の回顧であり、年賀状に載せる言葉…

おもう川の記 No.39 阿武隈川の9

今日は、阿武隈川に因んだ人を思い出すこととしたい。 世に文芸なる辞がある。少し耳新しい文字面だが、深刻に受けとめる程のことはない。 平たく言えば、文学一般のことだ。では何故”文学”と言わず、「文芸」なる辞を使うかと言えば。 文学の中に使われる”…

おもう川の記 No.38 阿武隈川の8

この阿武隈川シリーズは、10月23日に書き初めたから、間もなく3ヵ月目に入る。 この川は、自身の河川舟運でなく。河村瑞軒が飛躍する足場となり・彼が列島周回航路を整備する契機となった点において、サラブレッド級の川である。 先日、日和山と方角石を見る…

もがみ川感走録 第16 特産食品=さといも

もがみ川は、最上川である。 今日から最上川流域に産する地域固有の食品を語る。 食品は、その地に生まれてもおらず・かつて住んだことも無い筆者が、最も避けるべきテーマかもしれない。 土地固有の食風景となれば、インターネット&スマフォの現代でも、外…

おもう川の記 No.37 阿武隈川の7

阿武隈川の舟運について引続き述べる。 この川の流域に領地を持つ外様大名家の、思いもせぬ突然の直系断絶から、阿武隈川の舟運は始まった。と言う歴史の偶然を、直前の稿で一気に述べてしまった。 そこで、今日はその後始末を兼ねた整理補充記事である。 阿…

もがみ川感走録 第15 最上川舟唄の11

もがみ川は、最上川である。 先月の下旬、久しぶりに村上から酒田まで行った。 1年のうちに何度も訪れるか・通過している土地だ。格別の感慨も無いのだが・・・ 今回は、意想外の収穫があった。 それも3つもである。まず、本稿のテーマに沿った収穫から紹介…

おもう川の記 No.36 阿武隈川の6

今日は、阿武隈川の舟運が開かれた経緯を述べることとしたい。 前稿では、阿武隈川流域の伊達郡に生を享けながら、米澤→岩出山→仙台と、意図せぬ?遍歴の生涯を過ごした伊達政宗の略歴を採上げた。 実は今日の話題も、米澤が絡むのである。 明治以降の教科書…

もがみ川感走録 第14 最上川舟唄の10

もがみ川は、最上川である。 最上川舟唄に出てくる小鵜飼船を論じて、今日で遂に2ケタに達した。 さて、小鵜飼船が最上川に登場した経緯については、既に述べたことの繰返しだが。かなり遅く江戸時代も半ば頃=宝暦年間(1751〜63)のことであった。 小鵜飼…

おもう川の記 No.35 阿武隈川の5

阿武隈川の続きだが、この流域に。日本列島史の謎が、多く残ることに気がつく。 ○ 阿武隈川が仙台平野<陸地>と仙台湾<水路>=2つの異なる地理・地勢たる連結媒体を介して、北にある北上川と一体を形成する地圏であるとの認識は、共有されているか? ○ 古…

もがみ川感走録 第13 最上川舟唄の9

もがみ川は、最上川である。 最上川に覇者として君臨した小鵜飼船にも、遂に時代の波が押し寄せ、消える運命を迎えた。 まず河川法による国土改造が、列島全域に堤防構築ラッシュをもたらした。 河川法の制定は、1896(明治29)年だが。少年期の多くを川面を…

おもう川の記 No.34 阿武隈川の4

阿武隈川の川面を眺めた記憶を思い出しつつ,川そのものを景観正面に置くような訪ね方を何時の日かしてみたいと考えるようになっている。 内陸の会津地域は、今年も複数回訪問しているが。咄嗟に甦る阿武隈高地の光景は、よくよく考えると。もう5年以上も昔…

もがみ川感走録 第12 最上川舟唄の8

もがみ川は、最上川である。 最上川舟唄に、意味不明の歌詞がある。 「まっかんダイゴ」・・・云々。 川面を眺めながら耳が捕らえた船頭さんのナマ唄だ。 ところが、手元資料の文字は、”股大根”だ。 資料とは、その昔、吹福寿老夫妻と最上峡の舟下りをした際…

おもう川の記 No.33 阿武隈川の3

阿武隈川の第3節である。 阿武隈川がつくり出した景観は、ビッグ・スケールであり。観光資源としての蓄積は、他に無いくらい恵まれた土地柄だ。 川は、南から北に向かって流れ下り。その河床流域を古くは仙道、今日は中通りと呼ぶが、地形的に連なった一枚…

もがみ川感走録 第11 最上川舟唄の7

もがみ川は、最上川である。 さすがの小鵜飼船にも、引退の時期がやって来た。 舟唄を聴かせながら、悠々と川下りする姿は、遊覧船だけの光景になって、もう1世紀が過ぎようとしている。 幕末の頃 東京湾にクロブネが現れて、蒸気機関で動く船を、初めて見…

もがみ川感走録 第10 最上川舟唄の6

もがみ川は、最上川である。 引続き、小鵜飼船について書く。 既に書いたが、この舟は米澤藩によって最上川に導入された。 直接の導入元は、阿武隈川であるが。上杉氏・米澤藩には、阿武隈川との間に特別の歴史的結び付きがあった。 更に内陸部に居を占める…

おもう川の記 No.32 阿武隈川の2

阿武隈川の続編=第2節である。 阿武隈川は、言わずもがな。福島県の中央平野地帯<いわゆる中通り・古くは仙道とも言った>を流れる東北第2の大河だが。同時に隣県宮城県の基本地形をも規定する地理基軸である。 そのことは、かつて出羽が分離・立国されて…

もがみ川感走録 第9 最上川舟唄の5

もがみ川は、最上川である。 今日も前節に引続き、小鵜飼船に人生を浮かべて。 ハイリスクで、肉体的に過酷な労働であるが故に。 結果的に太く・短い生涯であったろうと思われる。 哀感に溢れた最上川船衆の生活の一端を紹介しよう。 最上川舟運史の後半に登…

おもう川の記 No.31 阿武隈川の1

今日から新しい川=阿武隈川について述べる。 東北は大河に恵まれるが。阿武隈川は、東北どころか列島有数の大河である。 しかも太平洋に注ぐ川にしては珍しいことだが、源流から北の方に位置する河口に向かって、流れ下っている。 まだある。 阿武隈川その…

もがみ川感走録 第8 最上川舟唄の4

もがみ川は、最上川である。 最上川舟唄は、最上川舟運で生計を維持した者達の労働唄であると考えたい。今日は歌詞に出てくる小鵜飼船(こうかいぶね)をも含めて、舟運従事者の暮らしを紹介する。 小鵜飼船は、ヒラタ・船<漢字だと扁が舟・旁が帯>との関…

おもう川の記 No.30 ホリカワは舟の通り路

このタイトルで書き始めたのは、1月からだ。 今日が30号だからと言って、格別のことも無いが・・・・ 時々に周辺事態の交通整理をしておくべきであると考える。 書き始めの構想では、いずれ”最上川”のことを書く。その準備として・周辺部・境界を明らかにす…

もがみ川感走録 第7 最上川舟唄の3

もがみ川は、最上川である。 最上川舟唄の歌詞に現れる「小鵜飼舟」(こうかいぶね)を宿題にして、先送りしてきたが、もう逃れられないようだ。 ”航海船”なる当字は、誤りであると既に述べた。 小鵜飼舟について論ずる事は出来れば避けたい。 ここまで書き…

おもう川の記 No.29 阿賀野川・吉田東伍

阿賀野川編の最終稿である。 阿賀野川に因む人物として吉田東伍(よしだとうご 1864〜1918 歴史地理学を創始)を採上げる。 生まれは、越後国蒲原郡保田村<=現在の阿賀野市安田>。阿賀野川流域の会津人である。 ここで新潟人と書いていたら、何ら違和感無…

もがみ川感走録 第6 最上川舟唄の2

もがみ川は、最上川である。 今日は、最上川舟唄の第2節。引続き「舟唄」について述べる。 「小鵜飼船」を第1節で宿題にした。 さて、最上川の急流イメージを否定するつもりは毛頭ないが、ランク付されるほどの差別性は無いと思う。旨を、前項で述べたが。最…

おもう川の記 No.28 阿賀野川と伊藤辰治

阿賀野川の続編である。 この阿賀野川シリーズは、初稿(その9・3月29日)から数えて今日で20節となるが、そろそろゴールま近い。 阿賀野川に因む人物として、2人描くことにした。 まず一人目である。 さて、この年=2014のトピックスと言えば、アフリカに…

もがみ川感走録 第5 最上川舟唄その1

もがみ川は、最上川である。今日から「最上川舟唄」を中心に取材記事を書く。 体験を語れば、2つしか思い出せない。 歌碑を見た。左沢(あてらざわ=地名 難読で有名)の街はずれにある高台、”くの字”に曲がる川を見下ろす台地上にある。 現在よく知られて…

おもう川の記 No.27 阿賀野川と米澤藩

阿賀野川の続編である。 今日は、米澤藩の江戸廻材を採上げる。 廻材とは、字面どおり木材を搬送することである。米であれば、廻米(かいまい)であり日常のことだが。建築用材を、それも米澤藩が阿賀野川を利用するとは珍しい・否あり得ない難事とするべき…

もがみ川感走録 第4 最上姓の2人

もがみ川は、最上川である。今日はその本文第3節 直前の稿で、河口=酒田港の来歴を少しだけ述べた。 よって、今日は河口<=こっちの端>の逆サイド=もう一方の端=源流について述べる。 源流の現地視察は、本稿初稿(8月8日)で既に触れた、簡略に留める…

おもう川の記 No.26 阿賀野川の物資

阿賀野川の続編である。 直前の稿で北前船についてかなりロングな話をした。 北前船が藩政時代に会津へ運び込んだ物資は、会津住人(官民を問わず)にとって日常生活に必須な消費財であった。 「あいず」=”津”なる地名を持ちながら会津地域に商港は無い。 …

もがみ川感走録 第3 港町・酒田

もがみ川は、最上川である。今日は第2節 例によって、端に立って、もう一方の端を考えてみる。 こっちの端は、河口である。 最上川と日本海の接点に当る河口の街を酒田と言う。 日本列島有数の港である。 港すなわち川口である必要は無いが、酒田の場合は大…

おもう川の記 No.25 阿賀野川と北前船

阿賀野川編の続編である。 直前の稿で飯豊山を採上げたが、福島・山形・新潟3県に跨がる長大な連峰であるし。阿賀野川の有力水源でもあるから、阿賀野川編に含めておさまりがついたと思う。 この阿賀野川編もそろそろ終盤である。 そこで、今日から阿賀野川…