2012-01-01から1年間の記事一覧

にっかん考現学No.42

今日は、死者葬送儀礼の最終稿である。 このようなテーマを何故採上げるか?背景を述べる。 著者の身内に、10月と12月に物故者が出たことが第1。 次に、最近韓流ドラマが大流行しており、どのチャンネルを廻しても切れ目無く放映されている状況であるが、李…

にっかん考現学No.41

今日はクリスマスである。宗教の何たるか?を知らず。来世の存在に疑いを持ち、それを語る宗教家の話を聞いても、すんなりと信仰に入れないまま、還暦をもとうに過ごしてしまった、ウカツ人間である筆者には、幸せを施す「サンタ・クロウス」は訪れることが…

にっかん考現学No.40

前稿まで9日毎のペースで執筆して来たが、選挙期間中であることを回避したわけではないが、結果として18日が経過してしまった。 さて、今日は葬送儀礼について、ごく簡単に想うところを述べてみたい。 東アジアの3カ国は、概ね似たような先祖供養を行うが、…

にっかん考現学No.39

今年も残り1ヵ月となった。日頃ひたすら未来志向でしか生きていないが、時季を得て、過ぎた11ヵ月を振還るのも時にありかなと想った次第である。 過ぎた11ヵ月中に起きた出来事、その数々の中に果たしてどれだけ明るい未来の兆しを告げる出来事があったかを…

にっかん考現学No.38

今日は前稿に引続き,領土問題について述べる。 メディアの報ずるものが、どれほど列島市民の大勢を反映しているかを伺う事は難しいが、メディアのサンプリングを経た画面の中の列島住民たちの主張は、意外と前時代的にして過激なものばかりである事に驚いた…

にっかん考現学No.37

東アジアの当面の課題は、数多くあるが。ここで採上げるのは領土問題である。 大きな掴みで言えば、11月半ばの今日で、そろそろ3ヶ月が経過する。 列島の国は、何のアクションも起こさなかった。 この3ヶ月間、何事も為さないまま。ただただ、問題を先送り…

にっかん考現学No.36 

引き続き地名と言葉の関係について述べる。 日本列島の中でも北東北と北海道は、古代における政治支配が及ばなかった特殊な歴史的事情から、独特のスタイル=つまり地形由来の地名すなわち言葉が示す意味から地形を推し量ることが可能な古俗を保存しているこ…

にっかん考現学No.35

前稿で筆者は、アイヌ語地名を基にして、韓国の地名と比較する試みを語った。それは日韓両言語間の古層における共通性または近縁の度合いを知る手がかりとして地名を使ったのだが・・・・ その背景を語れば、”地名”が基礎語たる素養を備える”ことば”であると…

泉流No.105・106 福吹寿老の続き

今しばし 此処に留まれ 赤とんぼ 海ごしに 庄内の里を 眺めるか 〔駄足] 前稿で福吹寿老の急な旅発ちについて述べたが、その続きである。 近親者だけで行われたお別れの会も終わり、4日めに慌ただしく帰路についた。 概ね片道500キロ・メートルを、立ち急…

泉流No.103・104 福吹寿老

夏がゆき 秋そこそこに 別れけり かにかくに 心があつき 最上川 〔駄足〕 この年は、暑さがいつまでも残るような感じの夏が去り行かない妙な日が10月の始めころまで続いた。中旬の初めの日に訃報を聞いてとにかく駆けつけた。 実父の享年84歳を超えたいと言…

にっかん考現学No.34

言葉のことを論ずる場合、地理的な位置関係=近いか・遠いかは、互いに影響を及ぼし合う機会の多少を考えれば、納得しやすい。 以前にも紹介した金容雲氏の著書・日本語の正体(三五館2009年刊)141頁に、「日本語の基礎語(210個)のうち90%以上が韓国語と…

深杓名辞集No.2

深杓名辞集(しんしゃくめいじしゅう)と詠む。この珍妙なる新成<新たに出来たの意味>4文字語の意味は、No.1(9月19日の稿)で簡単に触れた。 「集」と言うには、複数の構成要素が必要だから、今日の著作をもってはじめて、最低の要件を満たす事にあいな…

にっかん考現学No.33

前稿では、現にある国・地域である日本・ハングル使用の韓国・中国の東アジア3カ国の言語を比較・対照し、図式化した。 しかし、所謂漢字圏と言えば、ヴェトナム=東南アジア域も含めるのが本来である。 ただ、現在のヴェトナムの文字は、表意文字でなく、…

にっかん考現学No.32

前稿では、ハングルの事に少し深入りし過ぎた。 言語学の知識もなく韓国語の習得もままならない初心者が、あれこれ観相を述べるのは如何なものであろうか? さりながら、いま少しハングルについて触れておきたい。 まず言葉ありき、後に文字が生じた。その文…

深杓名辞集No.1

今日は9月19日である。 日付を簡略詠みしてみた。 ”くいく”?それとも”くういく”・・・・まあ、いずれでも大差はない。つまらない遊び? 判る人だけに。少しでも解って?もらえばよい。 とまあ、そんな軽い気持ちの、今日から始まる新しいシリーズである。 …

にっかん考現学No.31

旅は、道連れと言う。隣国であれ、国内旅行であれ、団体パッケージに潜り込め。コストメリットに主眼。今回は、〇〇の修学旅行なる30人ほどの団体旅行に潜り込んだ。 〇〇は、韓国に最も多い人名の苗字だが、彼が主催・指導する韓国総合文化講座に末席を汚す…

にっかん考現学No.30

今日は9月9日、重陽の節句=オクンチの祭りである。 その昔、長崎の諏訪神社付近で見たような、そうでないような、曖昧な記憶が、雲海の彼方に漂っている。 先月の終わり頃、台風15号が荒れ狂う韓国の地を,結果的に被害を免れつつショート・トリップした。 …

にっかん考現学No.29 あすかの16 

この・あすかの章は、昨日をもって閉じるはずであったが、不手際により今日閉じることにした。 さて、昨日の稿で言い残したことは2つ。 1つは、引用書の記述。アスカの大王宮廷では、百済語が使われていたとある点である。 疑わしい。 漢語なる共通の文字…

にっかん考現学No.28 あすかの15

今日から9月。あすかの章も第15稿に達し、いったん閉じるとしたら実にキリが良い。 有り体に言えば、それ以外に確たる成果が無いから、この章を投げ出すのかもしれない。 さて、飛ぶ鳥の飛鳥なる言葉の由来を探る道筋は、辿るべき道も見つからないが、達す…

にっかん考現学No.27 あすかの14

前稿において、飛鳥は日本の故郷そして日本人のルーツは、渡来人であると宣告した。 その上で、厳密な言い方に拘れば、大王家のルーツだが、、、、、 更に、多くの日本人が共有する純血民族観をもってすれば、受容しがたいはず、、、、 と。いくぶん奥歯にモ…

にっかん考現学No.26 あすかの13

”あすか”は、日本の故郷であるとするキャッチ・フレーズをよく耳にする。 現在では広く支持された、古典的名言の類いであると言えよう。 しかし、根底にあるものは、意想外に意味深長なのかもしれない。 まず、「日本の故郷である」なる命題は、日本と故郷。…

にっかん考現学No.25 あすかの12

3月1日から始めた、この「にっかん考現学シリーズ」だが、今日から6ヶ月目に入る。 現在進行中のテーマ=”あすか”は、5月の中旬から手がけ始め、今日で第12稿となる。 このテーマが、意想外に重い課題であることに、遅まきながら気づき始めている。連日…

にっかん考現学第24 あすかの11

万葉集の存在や成立の事情は、文学資料としても、文化人類学史料としても、言語学資料としても、他に例の無い、極めて特異であることは、夙に知られている。 直近の30年に限れば、東アジアの空間域の広さでの相互の文化比較が進化して来たこともあり、ユニー…

にっかん考現学No.23 あすかの10

前稿で万葉集に出現する「あすか」は、44件であると書いた。 本日になって、索引を頼りにして各巻を開き、該当する歌に個別に当たってみた。 記述の進行上、前稿では索引の見出しNo.をカウントして、「あすか」地名の数を決めたが。アトになってゆっくり、各…

にっかん考現学No.22 あすかの9

考現学とは、今をよく知って、未来を賢く生きる糧とする考え方だが。今を知るためには、過ぎた事の時間軸を遡り、ものごとの伝達経路つまり空間軸を実証的に辿る事で、追体験的に感じる必要もある。 解る事に達するプロセスとして、感じるがあってよいと想う…

泉流No.102 アノニマス

* お面顔 そろそろ繰り出す 日暮れ時 [駄足] お面と言えば、夏の風物、夜店の売り物。 ノスタルジックな頭脳、ワン・パターン展開しかしない。 お面は、あくまでも見るもの。手にした思い出が無い。 記憶の中の情景はこうだ。夜店の一画に、矢来を組んだ、…

泉流No.101 米出の地

* 豪壮に 惜しマず 米出ス 能登の民 [駄足] 日本列島の屋根、それも標高1,500mに位置する国定公園根子岳の登山口から、この日本海の海沿い地の街へ移住して来て、もう3年半が過ぎた。 日常の基礎は、ガーデニング・ファーマーにあるから、それなりに多忙だ…

泉流No.100  壁の話

* バカな壁 壊した先に またも壁 [駄足] 1週間が始まるのは、日曜からか?それとも月曜からか? いささか覚束ない。カレンダーに任せようと決めて、外出先でカレンダーを覗き見。 判った事、カレンダーには両方のスタイルがあった。 まあそんな訳だから、…

にっかん考現学No.21 あすかの8

万葉仮名のことも、素人である筆者にとっては、気が遠くなる課題である。 「仮名」は漢字を使って民族固有の言葉を表示する=借字のことである。 古事記の解説を読んでいて、気が遠くなった。古事記を読んでいた訳は、前々稿No.19 あすかの6で、既に予告し…

にっかん考現学No.20 あすかの7

前稿は、飛鳥なる地名が、古事記に出現しない事に驚いた旨を述べたが、古事記成って1300年だから寄道したわけではない。あくまでテーマの本筋は「飛鳥とは何か」の解明にある。 飛鳥の地名が、日本中のどこにでもある地名ではないこと。その限られた数の…