もがみ川感走録 第13 最上川舟唄の9

もがみ川は、最上川である。
最上川に覇者として君臨した小鵜飼船にも、遂に時代の波が押し寄せ、消える運命を迎えた。
まず河川法による国土改造が、列島全域に堤防構築ラッシュをもたらした。
河川法の制定は、1896(明治29)年だが。少年期の多くを川面を見て過ごした世代に共通する記憶がある。堤防工事が始まった時期と川船の姿が消えたタイミングは、概ね一致している。と聞く。
河川流域の氾濫原を開発して土地を造成する・工場用地として分譲販売する・その土地を水の浸食から護る。それが国策と化す過程で、時に洪水をもたらす川は、一方的な悪役に変身させられ。間もなくダーティーイメージが固まり・ゴミ捨て場として扱われるようになった。
次に、鉄道の開通である。
最上川流域の線路敷設は、最上川舟運と直接喰い合う関係となる。
その工事は概ね1914(大正3)年までに終った。鉄道工事は、時間をかけて緩やかに進んできたわけではなかった。
百年に1度あるかないかの大規模工事が、10年ちょっとの短い間に嵐のような早さで通り過ぎた。
その背景が、河川護岸=堤防工事と大きく異なるのは、鉄道輸送が軍事行動の一貫であることと無関係ではない。輸送サービスとは、想定された2つの区間が全通完工して始めて機能を発揮する性格を持つ以上。経済性を度外視して強行推進されやすい。
以上2つの大事業は、いずれも国策としてごく短期間をもって推進された。
当時存在した北前船に代表される国内舟運事業もまた、期を一にして、ごく短い間に著しく後退し・間もなく産業としての命脈を断った。
ご存知のとおり海を往く大廻航路を担う海航船が、北前船であり。それに繋がる小廻り航路や内水面・河川舟運をになう地廻り船などが、相互に連携して・緩やかに閉じられたループの中で貨客を輸送する形態は、明治期を通じて列島各地で見られた。
しかし、鉄道網の完成とともに、少しづつ商圏の輪を縮め。残る可能性が高かった筈のコメや塩など重量物・大型・一時期集中する舟運輸送最適分野まで含めて壊滅した。そのことは、行過ぎ現象であり・列島固有の経済史的ミステリーと言えるかもしれない。
では、最上川の小鵜飼船が、消え去ったのは何時であろうか?
簡単に答を見いだす事は、おそらく難しいことであろう。
人々の記憶から薄れ・消えかかると。公の統計などから抹殺されるのも時間の問題となる。
それ以後は、生業規模で推移するが。それから寿命が尽きるのは、おそらく長い後の事であろう。
しかも、最上川山形県には、固有の事情があった。そのため、戦後も昭和40年代まで小鵜飼船が動いている姿を見たとする報告がある。
筆者は、その固有事情が事実であることを固めるために、ざっと2週間費やした。
この国民性と言うか・県民性と言うべきか?勢いを過ぎたモノゴトに対する忘却の早さに、驚くばかりである。にも関わらずこの場を借りて、確認のための資料を提供戴いた関係各方面に対して、お礼を申上げておくこととしよう。
山形県・総務部・秘書広報課、新庄市・商工観光課、舟形町教育委員会大蔵村教育委員会などである。
これ等足元の県市町村職員から忘れ去られたものは、亜炭産業である。一部の役所では、「埋もれ木細工」なる=もう1つの用語を駆使して、やっと思い出してもらうことが出来たほどであった。
頂戴した資料によれば、亜炭の産出量は、最盛期から四半世紀も経ずして。最盛期(昭和30年代半ば)の20分の1まで減少しているが。埋蔵量が枯渇したわけでも・採掘業者が廃業したわけでもなく、細々と続いていることが判った。
だがしかし、さすがに小鵜飼船が亜炭を運んだのは、戦後間もなくの頃であったらしい。
さて、亜炭なるものを型どおり説明して。そろそろ筆を置くこととしたい。
亜炭は、石炭の1種。炭化度が低く・揮発分が多く・不粘結のものが多いが、発熱量は4900kcal/kg(山形県出土のもの)もあり、低品位炭ではない。
生成機構が、一般炭とはやや異なり。炭坑層の年代が新しく・樹木の構造を残したままで発掘され、木化石に近いとも言える。
序でに、列島における石炭類は、炭化の度合いが高いものから低いものに向けて。無煙炭・瀝青炭・褐炭・亜炭・泥炭と大別される。
最後に登場した泥炭は、草炭・ピートとも呼ばれ。その生成過程において、尾瀬池塘のような湿地帯の水中で、葦などが炭化する際、寒冷のため乾燥が不十分であるため泥炭化するとされる。
NHK朝ドラのマッサンが作るであろうウィスキーは、意図してピート燃焼により蒸留され、独特の香りが付けられると言う。
さて、列島では山形・宮城・岐阜の3県が、主要産地である。
第2次世界大戦後の資源不足時代には、活況を呈したが。
やがて一般炭(発熱量8000kcal/kg超)に置き換わり、更に燃料革命の進行により液化燃料・気体燃料にとって代わられた。
亜炭のエネルギー資源としてのメリットは、国産にあるが。
勿論ネックも大きい。出鉱規模が小さく・鉱層も薄く、機械の導入や操業効率の向上などの経営改善が見通しにくいなどである。
石炭系エネルギーには固有の大気環境を汚染する懸念もあり、構造改質などの技術的課題がクリアーされる必要があるが。エネルギーを巡る海外調達事情が流動化している昨今、根本的条件の著変なしとしない。
なお、山形大学の田宮良一氏によれば、山形県は、列島有数の資源博物館であるとか・・・
金・銀・石油・石炭などの地下資源が豊富に産出する希有な県域であると言う。
自前のエネルギーを産出する地域と言えば、秋田・山形・新潟の3県域とされるが。
その背景には、海底プレートの沈み込み帯=日本海溝から一定の距離に形成される火山フロントの存在にある。
これは想像だが、火山フロントを形成する最大の要因は、海底プレートに随伴して地下深くに達する海水の振舞であろう。
一定の深さに達すると。海水は地下マグマの高温床と遭遇することにより、沸騰したり・気化したりする。
その課程で、海水は変化し。エネルギー作用により、その真上付近の地表に、火山が帯状に形成される。
そのエネルギー現象は、熱水鉱床とも呼ばれることがある。
地下深く・まばらに・広く分散・所在する希少金属が、地下高圧域の高温水に溶け出し・その搬送運動作用により、地表近くの浅層に運ばれる。
その課程で、金属元素は、凝縮され・高純度の集積鉱脈を形成する。
列島から発見される金・銀・銅などの貴金属鉱山の含有割合が、特に高い理由は、おそらくその辺にあると考えられる。