2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧

もがみ川感走録第43  出羽路の芭蕉No.8 

もがみ川は、最上川である。 出羽路の芭蕉シリーズも、いよいよ第8稿となり。そろそろ上がりである。 出羽路の芭蕉は、陸奥路の芭蕉よりも。滞在時間が長く、各地で同門俳人に招かれ、多く歌仙を巻いた。 そのことは、当時の出羽人が遠来の客に憧れることが…

北上川夜窓抄 その19 作:左馬遼 

前稿で南部駒を採上げたが、今日はその続編・上がり稿である。 南部家の家伝によれば、源頼朝による奥州藤原氏征討から明治政変まで。およそ700年間の長きに亘って陸奥国の奥に留まったことが判る。 南部家が鎌倉地頭〜戦国・幕藩大名として君臨支配したから…

北上川夜窓抄 その18  作:左馬遼 

南部駒なる言葉がある。 いささか釈迦に説法だが。書きはじめる都合上、型どおり言葉の由来を書いておく。 駒は馬である。 その由来は、おそらくこの日本列島にウマを持込んだ渡来人集団の民族名と重なったと考えられる。 ウマの招来時期も経緯も明確でない…

北上川夜窓抄 その17  作:左馬遼 

北上川に因む人物を語るシリーズの第4弾である。 作家・志賀直哉は、明治16・1883年北上川の河口の港町=宮城県石巻市で生まれた。 それがここで採上げる理由だが。父・直温は、東京を活躍の基盤とする経済人であり・転勤族として2年ほど石巻に滞在した。…

もがみ川感走録第42  出羽路の芭蕉No.7 

もがみ川は、最上川である。 直前の稿で。芭蕉は「おくのほそ道」本文で俳聖の名を受ける程の文芸的虚構を駆使した。と述べた。 そのひとつが、須賀川と尾花沢大石田との『対比』による記述技法の展開であるとも書いた。 尾花沢大石田なる言い方は、筆者の造…