2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧

北上川夜窓抄 その13  作:左馬遼 

前稿では、下流域大崎平野の蓖岳山を中心に書いたので、今日は上流域に立ち戻る。 南部藩の城下町=盛岡を「朝鮮通信使の町」と呼ぶそうだが。本当のところはどうであろうか? 実は、そのような見出しの記事が、朝日新聞の『窓 副題・論説委員室から』<1990…

もがみ川感走録第36  出羽路の芭蕉No.1 

もがみ川は、最上川である。 今日から出羽路の芭蕉と名付けて、芭蕉と最上川の出逢いについて、想いを留めることとする。 拠るべきものは、当初かの高名な「おくのほそ道」しかないと思っていたが。文献資料は、驚ろくほど多種かつ多様に存在することに最近…

もがみ川感走録第35 草木塔 

もがみ川は、最上川である。 最上川を眺めながら、あちこち行き来するようになって、もう5年になる。 最上川を知るためには、なるべく鋭い眼をもって、流域を右往左往し。より多くの人から話を聴く事であろう。 まだある。古い時代のことをよく知る事がまた…

北上川夜窓抄 その12  作:左馬遼 

北上川が、岩手県の境界南端に位置する一関市を離れると、もう大崎平野だ。そこは宮城県つまり下流域である。 大崎平野は、仙北平野とも呼ばれる。 稲穂うな垂れる穀倉地帯だが、そうなったのは、厳密に言えばごく最近である。 水田と言う言い方があるとおり…

北上川夜窓抄 その11  作:左馬遼 

北上川に因む世界遺産と言えば、まず平泉であろう。 行政的所在地では、岩手県西磐井郡平泉町となる。 達谷窟(たっこくのいわや)毘沙門堂など,非日常の景観が突如現れるかと思えば。毛越寺(もうつうじ)のように、何度訪れても現実世界からの離脱を味わ…

もがみ川感走録第34  べに花の10

もがみ川は、最上川である。 この「べに花の章」は、本日のNo.10をもって終る。 山形が、紅花生産の王国であった時代は、ほとんど江戸時代までであった。 明治の新時代になると、海外から大量の染色材料が殺到した。 コスト面で国産の紅花は太刀打ちできなく…