2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

もがみ川感走録第31  べに花の7

もがみ川は、最上川である。 紅花講話の舞台も、ここで一挙に上古〜古代からワープして江戸時代に至る。 歴史課題は史料文献に従うため、何も無いところから捻り出すことはできない。 平和な時代は史料文献が残存しやすい、江戸時代はそんな時代であった。 …

もがみ川感走録第30  べに花の6

もがみ川は、最上川である。 直前の稿では、紅花がもたらされ・山形の地に落着くまでの経緯をやや強引に述べてみた。 辺境地域=東北部の古い時代相を明らかにすることは、列島内であれ・ユウラシア大陸であれ、とても困難である。 列島人の一特徴でもあるが…

もがみ川感走録第29  べに花の5

もがみ川は、最上川である。 最上川の流域・内陸は、紅花の王国である。 これを単なる宣言文ととるか?現在進行形の事実センテンスと見るか? その受取り方は、人それぞれであろう。 その紅花生産もアジア太平洋戦争の最中に、栽培が停止された。 敗戦後、紅…

北上川夜窓抄 その6  作:左馬遼 

北上川のことを語る時、必ず付き纏うのが、日高見国<ひたかみのくに>のことである。 有史以前〜上古・律令前代における地域の纏まりを差して呼ぶのに、〇〇国と表記するのは、この国ではよく見かける表記の例ではあるが、ある意味困った風潮であると断って…

北上川夜窓抄 その5  作:左馬遼 

北上川は、古代陸奥国の象徴である。 大河は、世界的大文明を生み育てるベーシック・インフラつまり基礎的要素である。が、明治以降の日本列島は、クロフネ・ショックを受けて国策の基幹が革まり、河は見捨てられた。 最も顕著な施策が鉄道建設による殖産興…

北上川夜窓抄 その4  作:左馬遼 

北上川は、名前のとおりの川である。 源流が北にあり・河口が南に位置する。 よって川の水は北から南に流れ下る。名は体を表すように、素直な川である。 この当たり前をことさら鬼の首でも摂るかのように,畳み掛けるのもどうかと思うが・・・ 水流の方位な…