2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧

おもう川の記 No.35 阿武隈川の5

阿武隈川の続きだが、この流域に。日本列島史の謎が、多く残ることに気がつく。 ○ 阿武隈川が仙台平野<陸地>と仙台湾<水路>=2つの異なる地理・地勢たる連結媒体を介して、北にある北上川と一体を形成する地圏であるとの認識は、共有されているか? ○ 古…

もがみ川感走録 第13 最上川舟唄の9

もがみ川は、最上川である。 最上川に覇者として君臨した小鵜飼船にも、遂に時代の波が押し寄せ、消える運命を迎えた。 まず河川法による国土改造が、列島全域に堤防構築ラッシュをもたらした。 河川法の制定は、1896(明治29)年だが。少年期の多くを川面を…

おもう川の記 No.34 阿武隈川の4

阿武隈川の川面を眺めた記憶を思い出しつつ,川そのものを景観正面に置くような訪ね方を何時の日かしてみたいと考えるようになっている。 内陸の会津地域は、今年も複数回訪問しているが。咄嗟に甦る阿武隈高地の光景は、よくよく考えると。もう5年以上も昔…

もがみ川感走録 第12 最上川舟唄の8

もがみ川は、最上川である。 最上川舟唄に、意味不明の歌詞がある。 「まっかんダイゴ」・・・云々。 川面を眺めながら耳が捕らえた船頭さんのナマ唄だ。 ところが、手元資料の文字は、”股大根”だ。 資料とは、その昔、吹福寿老夫妻と最上峡の舟下りをした際…

おもう川の記 No.33 阿武隈川の3

阿武隈川の第3節である。 阿武隈川がつくり出した景観は、ビッグ・スケールであり。観光資源としての蓄積は、他に無いくらい恵まれた土地柄だ。 川は、南から北に向かって流れ下り。その河床流域を古くは仙道、今日は中通りと呼ぶが、地形的に連なった一枚…

もがみ川感走録 第11 最上川舟唄の7

もがみ川は、最上川である。 さすがの小鵜飼船にも、引退の時期がやって来た。 舟唄を聴かせながら、悠々と川下りする姿は、遊覧船だけの光景になって、もう1世紀が過ぎようとしている。 幕末の頃 東京湾にクロブネが現れて、蒸気機関で動く船を、初めて見…

もがみ川感走録 第10 最上川舟唄の6

もがみ川は、最上川である。 引続き、小鵜飼船について書く。 既に書いたが、この舟は米澤藩によって最上川に導入された。 直接の導入元は、阿武隈川であるが。上杉氏・米澤藩には、阿武隈川との間に特別の歴史的結び付きがあった。 更に内陸部に居を占める…