2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

北上川夜窓抄 その10  作:左馬遼 

北上川は、陸奥国最大の大河である。 陸奥国なる分国設置は、律令制度の下であるから。その始まりは概ね7世紀の終りか8世紀の初め頃と考えてよいだろう。 一時的に石城・石背国などが分界建国されたが,間もなく旧に復され、陸奥国一国状態が、明治初年まで…

北上川夜窓抄 その9  作:左馬遼 

石巻は、北上川の河口に作られた大きな町だが。 今日採上げる盛岡は、中流域にある街。現代の岩手県庁はここにある。 さて、舞台は突然東京に移る。筆者がサラリーを得るべく赤坂<港区>にいた頃、昼の散歩コースに南部坂があった。氷川神社からアメリカ大…

もがみ川感走録第33  べに花の9

もがみ川は、最上川である。 尾花沢に清風と名乗る男がいた。 時は、元禄2・1689年。年齢は39歳。 職業と言えば、嶋田屋八右衛門(屋号)家の部屋住者(跡継ぎ息子。この3年後に家業の金融業を継ぎ・襲名して鈴木道祐となる)。嶋田屋は苗字帯刀を許された有…

もがみ川感走録第32  べに花の8

もがみ川は、最上川である。 夏も近づく 八十八夜 野にも山にも 若葉が茂る あれに見えるは 茶摘みじゃないか アカネたすきに 菅の笠 このところ、古い季節感でモノゴトを語りにくい雰囲気があるが。 それを難しく語ると気候変動の問題や高速輸送とエナジー…

北上川夜窓抄 その8  作:左馬遼 

北上川の顔に当る町は、間違いなく石巻だが。 その顔に光を当てる役割を果したのは、伊達政宗であった。 戦国から江戸の初めにかけて、日本の歴史でも一・二を争うほどの秩序の大転換が行われた。 後世の我々は、過去をあたかも既に敷いてあるレールを走る電…

北上川夜窓抄 その7  作:左馬遼 

北上川の河口と言えば、石巻である。 石巻のランドマークは、日和山公園である。 日和山<ひよりやま>には、何度も立寄っている。 筆者は、1980年頃転勤地の仙台市に拠点があった。海の方を目ざして日帰り出張することが多く、昼休みは多く日和山に登って過…