もがみ川感走録第61 もがみ川のおしん・その3

おしんは、雪融けに少し早い時期であったが、心も急いており。早々に炭焼き竃の横に立つ・一冬過ごした山中の掘っ建て小屋を出て、麓の集落を目指した。 その下りの雪道で上って来る憲兵集団とすれ違った。 脱走兵であると見抜かれた俊作兄ちゃんは、たちま…

もがみ川感走録第60 もがみ川のおしん・その2

おしんが乗せられた筏は、早春の雪融け水に押流され。危うい川流れであったが、どうにか目的地に上陸し、奉公先に落ち着いた。 かなりの脱線だが。私人の事業に雇われる=それだけのコトでしかないのに「奉公」と大袈裟に言う。とかくニホン語は用語の使い方…

もがみ川感走録第59 もがみ川のおしん

今日から『もがみ川のおしん』と題して、書き始める。 2018年になって、何で今頃「おしん」なのか? まずその疑問に応えることとしよう このシリーズは、筆者の勝手気侭さを反映して、第1稿の成った2014.8月から既に4年目に入っている。そして今日の原稿の進…

高尾山独吟百句 No.18 by左馬遼嶺

ただ眠れ 菜花・辛夷は 夢放浪 〔駄言独語〕 この数日急激な好天と気温上昇である。 菜の花もコブシの花もきっと盛んに咲いていることであろう。 当地のサクラも間もなく開花宣言へと達することであろう。 春の到来は、雪国の住民にとり、念願の季節の到来で…

もがみ川感走録第58 西郷南洲・番外編

雨は降るふる 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂 田原坂<たばるざか。熊本市北区植木町豊岡>は、明治10・1877年に起きた西南戦争<1月30日〜9月24日>の古戦場の一つだが。 民謡に唄われた激戦地であった。 西南戦争は、熊本・大分以南の南九州を戦域と…

高尾山独吟百句 No.17 by左馬遼嶺

ボタモチと 別れを告げる 春紀行 〔独吟呟語〕 今日は、春分の日である。メディアは、遠くの各地でサクラが開花したと知らせている。 当地はつい先日ころ半世紀に一度のスケールの大きな豪雪に見舞われた 。 ウメはもう咲いたが、サクラはいま少し俟たれよう…

高尾山独吟百句 No.16 by左馬遼嶺

ゴミ出しも 少しラクなり 雨水ころ 〔駄足独語〕 ゴミ出しは、ゴキブリ亭主ならぬはみ出し男がこの数年超も、否、気が遠くなるほど長いこと担当している家事分担である。 持病が悪化したことをもって、70歳も過ぎてから不慮の転居となり。今の下駄履き長屋に…

もがみ川感走録第57 西郷南洲・続

南洲翁遺訓の創出〜刊行に、鹿児島の地から遠く離れた旧・鶴岡藩の主従が大挙して関わっていた。 何故庄内びとは、そのような振舞に出たのであろうか?その背景を知るために、西郷隆盛の詳細な行動を押さえてみた。 慶応4・1868年9月27日に庄内藩は、官軍に…

もがみ川感走録第56 西郷南洲

この冬は、雪の降りようも大気の寒さも、例年になく厳しい。本格的な冬であった。 しかし、ついに節分だ。 待焦がれた春は、暦の上ながらも、もうそこに迫っている。 この過ぎようとする冬の間、吾が身は何をしていたかと問えば、身を動かすとも怠り。 ひた…

高尾山独吟百句 No.15 by左馬遼嶺

寒の夜 家で味わう きりたんぽ 〔駄足呟語〕 今は寒<かん>、北半球が一年で最も寒い時季である。 生物が生き残るため最も厳しいこの最悪寒冷期を無難に過ごし、やがて来る暖かい春を待ちたい。 さて、きりたんぽ 吾が故郷は、あきたの郷土料理である。 と…

北上川夜窓抄 その40=三浦命助 作:左馬遼 

北上川の上流域は、南部藩領である。 三浦めいすけは、百姓・命助(or盟助とも書く)として知られる。 盛岡南部藩領の栗林村<現・釜石市>に、文政2?・1819年頃に生まれ、文久4・1864年盛岡城下の牢内で死亡した。 因みに、百姓とは、かなり尊大ぶった肩書…

高尾山独吟百句 No.14 by左馬遼嶺

もくもくと そこにもここにも 雪落ちる 〔駄足呟語〕 昨日は日曜日の朝のことだ。 朝起きて驚いた。静かな白い世界 その前夜から,静かにしずかに、雪は降り続けていたらしい。 大雪警報が出ていたらしいが、ニュウスを見ないまま知らずに寝込んでしまってい…

川歩きの物語 穇

2017年の11月である。何も書けないまま一ヵ月が過ぎようとしている。 そんなことで、約1年半ぶりに 〔 川歩きの物語 穇 〕を書いている。 〔 川歩きの物語 〕を書いた2016年4月は、入院中であったが。実はただ今も入院している。 ここはインターネット環境が…

北上川夜窓抄 その39=続・古川古松軒 作:左馬遼 

北上川を行きつ・戻りつした古川古松軒についての続稿である。 古松軒は、幕府巡検使の随行員として天明8・1788年陸奥・出羽を巡歴しつつ蝦夷地までを往復した。 ほぼ230年ほどの昔だが、時は東北地域が大飢饉の苦境に喘いでいる時期であったから。ある意味…

高尾山独呟百句 No.13 by左馬遼嶺

空に月 かおり添えたる キンモクセイ 〔駄足呟語〕 吾が家から月を眺めた。 過ぎた9月は7日の夕べであった。 その日は、運よいタイミングで月の出を見た。 日本海に面した北陸の地、晴れの日に出会うことが難しい。 望月(満月=月齢15。十五夜の月)は、前…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.15

前稿の執筆から既に1ヵ月半以上経過してしまった。 前稿で述べた”ワットの酷い夏”は、未だ終ってない。 下駄履きアパート内のジプシー暮らしは続いている。 自室に回帰する事は、もう秋も終り、寒さ対策が必要な時季なのだから、簡単に実現しそうだが。 未だ…

北上川夜窓抄 その38=古川古松軒 作:左馬遼 

今を去ること約230年前、北上川流域を江戸に向けて南下して行く集団があった。 幕府巡検使の一行である。 そもそも幕府巡検使とは何か?だが。 天明8・1788年その随員として一行に加わって、蝦夷・東北を旅した古川古松軒が残した旅日記=「東遊雑記」により…

高尾山独呟百句 No.12 by左馬遼嶺

瞼には ハイビスカスに ザワワあり 〔駄足呟語〕 過ぎた6月沖縄を訪ねた。 その背景を述べると、いささか厄介だが。 要するに、前回の沖縄の旅での帰路、那覇空港のカウンターで、医療用酸素を航空機内に持込もうとして、トンデモナイ苦労を味わったことを…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.14

この夏はどうにか過ぎた。 暦の上での夏は、ふつう6・7・8の3ヵ月である。 もう9月だから、もう秋である。 遡ってみたら、8月中この稿を全く執筆しなかった。 何故か?回顧して背景が判った。 ブロイラー・ハウスの住人がダニ族であることが判明するま…

北上川夜窓抄 その37=菅江真澄・番外 作:左馬遼 

北上川の川面を眺めつつ舟を浮かべ、川の畔を辿り歩いた人たちの評伝を探るシリーズ。菅江真澄編の第4編だが、前稿までに本筋は述べ終わったので、本稿は番外編である。 江戸中期、三河人が東北・北海道までやって来て、遂には秋田の地で最期を迎え、一度も…

高尾山独呟百句 No.11 by左馬遼嶺

大空に 入道出でて なに思う 〔駄足呟語〕 当地の梅雨明けは、つい先日他の地域に少し遅れて、知らされた。 当面の空模様が、早晩に雨がちに転ずるのは、台風5号の影響であろう。 台風発生が、7月中に2ケタ台に近づくのは、気象統計的に、希な事象らしい…

北上川夜窓抄 その36=菅江真澄・続々 作:左馬遼 

北上川の畔に佇み、時に川面を舟で越えたであろう人物を探るシリーズ。菅江真澄篇の第3稿である。 前稿では、菅江についての謎を筆者が設問したまま、その答を示す事なく終った。 稿末でヒントを出したが、その言わんとするところは、菅江の内心がどうであっ…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.13

吾が住む北陸は、まだ梅雨のうちである。 とは言え、カラつゆ気味だからであろう。結構暑さがこたえる。 頼るものは、冷房エアコンで、已むなく就寝中も定温モードでどうにか寝ている。 とは言え、眠りの質はかなり悪い。 それが証拠に、寝つきも寝起きも芳…

高尾山独呟百句 No.10 by左馬遼嶺

沖にシマ 白雲青海 胸さわぐ 〔駄足呟語〕 先月は、ひょんなことから沖縄に行った。 着いた日が、沖縄の梅雨明けであった。晴天に恵まれ、よく歩いた。 沖縄訪問は、昨年の暮れに引続いて2回目だが。観光など自由な時間があったので、事実上最初の訪問とな…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.12

やはり、この世の中はうまい話ばかりではなかった。 退院した日の午後、病院から自宅の2階建て借家=別名・兎小屋一軒家に還る途中、パートナーは仲介不動産屋と示し合わせていて・・・ 車を少しだけ遠回りさせて、築25年程経過したブロイラーハウスを見せら…

北上川夜窓抄 その35=菅江真澄・続 作:左馬遼 

北上川の川面を渡り、その畔に足を踏み入れた人物の評伝として、前稿に引続き菅江真澄を採上げる。 菅江真澄は、大いに謎に包まれた人物である。 本名を白井秀雄<1754〜1829>と言い、三河国<現・愛知県>岡崎または豊橋に生まれ、出羽国<現・秋田県>角…

高尾山独呟百句 No.9 by左馬遼嶺

はえの風 ときどき受けて 道迷う 〔駄足吠語〕 吾が住む北陸は、先週やっと梅雨入りした。 しかし、肝心の雲行きは、夏模様である。カラツユなのか? 扇風機の起すファジーな揺らぎのある風(1/f)が快い昨今である。 その先週だが、ひょんな会合があって、…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.11

このホネ五郎日記も連載二桁台に達した。 もっと、速いペースで書き進む心算であったが、何故か?月1回の著述と信じ難いスロウペースで推移してしまった。結構、通院とか雑用などで、それなりに多忙であったのだ。 過ぎた5月半ばで、退院1カ年が経過し。病…

北上川夜窓抄 その34=菅江真澄 作:左馬遼 

北上川の畔に佇み、かつてそこに足跡を残した、北上川ゆかりの人として菅江真澄について述べる。 江戸中期の国学者・紀行家であるが、その位置づけや評価はそれぞれである。 菅江真澄なる称号は、晩年秋田に定住した頃から、使用したものである。 本名は、白…

高尾山独呟百句 No.8 by左馬遼嶺

薪能 家に還して 菖蒲の湯 〔駄足吠語〕 昨夜は金沢城址で、薪能があった。 狂言「樋の酒」と能「殺生石」を覚えている。 甚だ楽しんだと書きたいところだが、最後の演目である能の中段頃に退座して、急ぎ家に還して、風呂に飛び込み、ひたすら暖まった。 百…