2015の年頭放言

人をやり始めてから間もなく69年になる。
ヒトなる言い方もあるが、同事に人間とも言うから。やはり周囲と同じことをやらされる。
この年頭放言も、年賀状の延長である。現職時代に始めた人並みのことだ。
従って、過去1年の回顧であり、年賀状に載せる言葉の母集団でもある。
まず吾がことだが、2014の初めに稿を起こした「川面探索シリーズ」が、未だ続いている。
自らの現地視察体験をベースにしているため、生地の東北域から着手したが、行く行く列島全域に及ぼしたい。
余命・延命措置が続けば、列島の外に向かうかもしれない?
余命と言えば、過ぎた春に上の孫が小学生になっているから、予測はますます困難になりつつある。
困難と言えば、暮の総選挙ほど理解困難なものは無かった。
政治はレベルの低い愚物が権力を握るほど、構成員たる市民の苦悩が増す。
そもそも、日本銀行や放送協会の組織が、政治と切離されて別事業体となっていることの意味=ファイヤー・ウォールの壁が存在すること=を無視して人事手法を駆使するやり方に、途轍もない危機感を覚える。
日銀による無制限の国債引受は、かつての戦争遂行と同根の金融体制であり。
エネルギー皆無の国情にありながら、円安と貿易赤字の慢性化が同時進行している。
この金融経済の異常事態が日々累積する日常は、外貨準備の払底なる最も深刻な危機をすぐそこに招き寄せている。
誰が?何時?彼に退陣を迫るか? もう遅いかもしれない。
列島沈没は近い
社会時事ネタは、これくらいに留めよう。
この数年採上げてきた息子ネタに廻ろう
忘れた頃に散発的にTVに顔を出す。身内が生きていることの確認作業を国民共通の資産とも言うべき公器の電波に便乗して行うのは、いささか不遜でもあるが、ナシのツブテ状態の日常だから止むを得ない。
先日、この国における原子力の父と呼ばれた正力ファンドのブロ・キャス局に出演して、同じファミリーの野球団についてアンチ・コメントをした。
これを聞いて、父親たる者、「よくやった」と、快哉した。
多くの人が支持する人気集団をコキオロすことは、時の権力に歯向かうような愚かさだ。
”文芸者は、反権力であるべし” と考える父を持つのは、かなり苦労であるに違いない。
しかし、自らが贔屓する野球チーム名を披露したのは、既存ジャーナリズムの手枷・足カセを想えば、貧乏くじの因になりやすい発言であった。
それでよいと、考えたい。
小器早成を思わず、苦労を厭うこと無く、ひたすら廻り道を突き進め、辛酸を舐めろ。
そして大河遠望の志を掲げながら、精進する日常をおくるべし。
暮も押詰って、やっと新刊書がリリースされた。
「すべてのニュウスは賞味期限切れである」
アスペクト刊・おぐらりゅうじ氏との共著である。
ある動画サイトで放映されたコンテンツを活字化して書籍にしたものだから、タイトルが辛辣ながら正確である。
時事ニュウスのコメントは、炎上・誹謗の餌食にされやすい。
とてもリスキィーなジャンルに身を置いたものだ。
決して”電力ネタ”などに踏込まず、自己保身に心がけよ。
大河遠望の志を持ちながら、社会を見る眼を鍛え続けよ
皆様よい年をお迎えください