2018-01-01から1年間の記事一覧

もがみ川感走録第61 もがみ川のおしん・その3

おしんは、雪融けに少し早い時期であったが、心も急いており。早々に炭焼き竃の横に立つ・一冬過ごした山中の掘っ建て小屋を出て、麓の集落を目指した。 その下りの雪道で上って来る憲兵集団とすれ違った。 脱走兵であると見抜かれた俊作兄ちゃんは、たちま…

もがみ川感走録第60 もがみ川のおしん・その2

おしんが乗せられた筏は、早春の雪融け水に押流され。危うい川流れであったが、どうにか目的地に上陸し、奉公先に落ち着いた。 かなりの脱線だが。私人の事業に雇われる=それだけのコトでしかないのに「奉公」と大袈裟に言う。とかくニホン語は用語の使い方…

もがみ川感走録第59 もがみ川のおしん

今日から『もがみ川のおしん』と題して、書き始める。 2018年になって、何で今頃「おしん」なのか? まずその疑問に応えることとしよう このシリーズは、筆者の勝手気侭さを反映して、第1稿の成った2014.8月から既に4年目に入っている。そして今日の原稿の進…

高尾山独吟百句 No.18 by左馬遼嶺

ただ眠れ 菜花・辛夷は 夢放浪 〔駄言独語〕 この数日急激な好天と気温上昇である。 菜の花もコブシの花もきっと盛んに咲いていることであろう。 当地のサクラも間もなく開花宣言へと達することであろう。 春の到来は、雪国の住民にとり、念願の季節の到来で…

もがみ川感走録第58 西郷南洲・番外編

雨は降るふる 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂 田原坂<たばるざか。熊本市北区植木町豊岡>は、明治10・1877年に起きた西南戦争<1月30日〜9月24日>の古戦場の一つだが。 民謡に唄われた激戦地であった。 西南戦争は、熊本・大分以南の南九州を戦域と…

高尾山独吟百句 No.17 by左馬遼嶺

ボタモチと 別れを告げる 春紀行 〔独吟呟語〕 今日は、春分の日である。メディアは、遠くの各地でサクラが開花したと知らせている。 当地はつい先日ころ半世紀に一度のスケールの大きな豪雪に見舞われた 。 ウメはもう咲いたが、サクラはいま少し俟たれよう…

高尾山独吟百句 No.16 by左馬遼嶺

ゴミ出しも 少しラクなり 雨水ころ 〔駄足独語〕 ゴミ出しは、ゴキブリ亭主ならぬはみ出し男がこの数年超も、否、気が遠くなるほど長いこと担当している家事分担である。 持病が悪化したことをもって、70歳も過ぎてから不慮の転居となり。今の下駄履き長屋に…

もがみ川感走録第57 西郷南洲・続

南洲翁遺訓の創出〜刊行に、鹿児島の地から遠く離れた旧・鶴岡藩の主従が大挙して関わっていた。 何故庄内びとは、そのような振舞に出たのであろうか?その背景を知るために、西郷隆盛の詳細な行動を押さえてみた。 慶応4・1868年9月27日に庄内藩は、官軍に…

もがみ川感走録第56 西郷南洲

この冬は、雪の降りようも大気の寒さも、例年になく厳しい。本格的な冬であった。 しかし、ついに節分だ。 待焦がれた春は、暦の上ながらも、もうそこに迫っている。 この過ぎようとする冬の間、吾が身は何をしていたかと問えば、身を動かすとも怠り。 ひた…

高尾山独吟百句 No.15 by左馬遼嶺

寒の夜 家で味わう きりたんぽ 〔駄足呟語〕 今は寒<かん>、北半球が一年で最も寒い時季である。 生物が生き残るため最も厳しいこの最悪寒冷期を無難に過ごし、やがて来る暖かい春を待ちたい。 さて、きりたんぽ 吾が故郷は、あきたの郷土料理である。 と…