おもう川の記 No.34 阿武隈川の4

阿武隈川の川面を眺めた記憶を思い出しつつ,川そのものを景観正面に置くような訪ね方を何時の日かしてみたいと考えるようになっている。
内陸の会津地域は、今年も複数回訪問しているが。咄嗟に甦る阿武隈高地の光景は、よくよく考えると。もう5年以上も昔だ。
霊山神社や三春の滝桜のことを思い出している。
さて、この山地は、中通り浜通りを区分しながら。北のはずれへ向かって細まりつつ、福島・宮城の県境脊梁山脈の役割をも果たしている。
しかも,この山地を切抜き・低地廻廊を形作っているのが、阿武隈川である。
その低地廻廊の上流域が福島盆地・下流側が仙台平野の南の端に当たる。
この2つの平原地帯は、日本有数の繊維産業先進地なのだが。そのことは、ナイロンなどの石油原料系のいわゆる高分子化合物に置替が進んだ戦後経済の中で、急速に忘れ去られようとしている。
福島盆地の中核都市は、福島市だが。市の中心・東側にシンボリックな孤立峰がある。
名を信夫山<しのぶ・山>と言う。そう、失われた郡名=信夫郡はこの地である。
しのぶは、忍ぶや偲ぶに音が通ずるから「恋」の縁語である。
古歌に
  みちのくの  しのぶ捩摺<もじずり>  誰ゆえに
       乱れそめにし  吾ならなくに
がある。
あまりに有名なのは、歌の名声であって。
捩摺なる染色織物(と思われるが)は、既に失われている。ここで何を語っても、ただただ想像の産物でしかない。
奈良〜平安時代に遠く都の貴族が好んだ、紗のような薄地の絹織物であったらしい。
狩衣や水干などの素材として、淡い染色が施されていたかもしれない。
”もじずり”に「文字摺」を当てる考えもあり、文字絵を連想してもよいが。
あえて、「捩る」を採用した。もじずりは、現代のネジバナである。
螺旋状によじれたその花の形は、撚じられた糸に似る。撚糸は薄地の織物に相応しいから、より相応しい動詞の捩る=もじるを当てたい。
摺るもまた、古代の染色法を連想させる。福島市内に「もじずり石」が残るから、そこが工房で。
布に染料をすりつける・古典的な染め方であったかもしれない。
なお、福島盆地に摺上川<すりかみがわ>がある。
さて、信夫郡に接して伊達郡<だて・郡>がある。この2つの郡を併せて信達地方と呼ぶ。
その伊達郡の東は、脊梁山脈=阿武隈高地だが。裏側に伊具郡<いぐ・郡 宮城県に属す>があるが、そこがまた藍・紅花つまり染色原料植物の産地である。
ところで、イグとは、つくづく妙な発音であると憶うのは、筆者だけだろうか?
イグ・ノーベル賞は、日本人と因縁めく国際賞?。IgはIgnoreの略であろうか?
日本では「愚かなノーベル賞」と当てるが、ボストン名門大学などの主催陣は、「ユーモアとユニークさにおいて、誰もやりそうにない研究や開発」が選考対象であるとしている。
1991年から毎年実施されるが、日本からは毎年のごとく受賞作が登場するから面白い。
ところで伊達と伊具が、並んでいる。しかも、山越え・背中合わせ。
筆者は、そのことに奇異を覚える。
しかもそれぞれの地名は、僅か2文字構成なのに。共通して「伊」の字を使う。
にもかかわらず、一方は、"い”の発音が無く・他方は、"い”の発音を保つ・文字面に忠実だ。
この日本語のデタラメさ加減をどう扱うべきか?おおいに悩む
まず、上流の伊達・地名から始める。
伊達郡の起こりだが、10世紀頃信夫郡からその一部=北側を分割して建郡した事が知られる。伊達郡編入された3郷は、いずれも当時からそこにあった。化外の郷にして、その中に伊達郷があった。
現・桑折<こおり>・国見・川俣の3町・伊達市福島市の一部が、律令制下の伊達郡に当たる。
阿武隈川の西岸地区であった。伊達崎と書いて”だんざき”と詠む地名も当地にある。
さて、その由来だが、古代東北の地は、屯田兵まがいの強制移住から・渡来民の自発的移動定住などいわゆる化外の地らしく混在開発が旺盛であったかもしれない。
伝承によれば、入植農民の故地が播磨の国で、射盾神社の氏子集団が、伊達郷の中核を成したとある。
スマホで調べたら、姫路市総社本町に似たような文字構成の神社がある。
但し、発音表記の方は、”いたて”である・・・”だて”ではない。  
どうしたことだろうか?
暖かい瀬戸内から寒い福島に来て、ものぐさになり。 ”い”音を脱落させたか?
代わりに ”た”を → ”だ”に変えた。 さて、濁音は重み付けとなるか?
人名もある。これまで出会った人は、「だて」さんばかりだった。
次に、下流に位置する伊具・地名。現在の角田市丸森町律令制下の伊具郡に当たる。
こっちの方は、和名抄や旧事紀・国造本紀では「伊久」の字,本来は”いく”であったかもしれない。
これ以上のことは判らない。
ただ、この郡を構成する古い時代の郷名に静戸<しずりべ>・麻績<おうみ>の難読地名がある。
”しず”を広辞苑で引くと、倭文と変換され・見出語が出てきた。
古代織物の一、奈良時代はシツと清音であった。穀<かじ>・麻などの緯(よこいと)を青・赤に染めて、乱れ模様に織った布=しずり・あやぬの・倭文織。
ここまで来ると、以下は余談だが。
乱れ模様の布から、上掲・古歌を「乱れ染め」と詠みかえて解釈したくなる。
”しずりべ”の郷名は、倭文織を作る専門工人=倭文部が集住していた事に由来するかもしれない。
筆者は最初、合成地名だなと勘ぐった。
伊具の由来記事をみて、当初の思い込みを修正しようとしている。
ここで言う合成地名とは、複数の町・村が合併する際に旧名から適宜の文字を抜出し・合体させ・存続町村名とする例のことだ。序でに、筆者の近辺にある実例を引く。
美川町だ、石川県の能美郡と石川郡にある町が、郡を跨いで一緒になった。それぞれ郡名の下の方の1字を借りて・合せて新町名とした。その後更に合併して白山市のうちに属した。
最後に余談をもうひとつ
列島には、「伊」を備える地名がゴロゴロある。
広大なゾーンを示す点では、「国名」が最も大きい地名だ。
伊豆・伊予・伊賀・伊勢・壱岐・磐城・石背。糸魚川糸島郡・伊那・井波・印南野・伊根湾・揖斐川いわき市などを思い出す。
では、“イ“で始まる地名には、どんな意味があるのだろうか?
失われ・忘れられたものの代表が、地名の持つ意味であるかもしれない?
筆者にこれと言った答はないが、漠然とした仮説はある。
“イ“で始まる地名は、海事か造船に関係して生じた地名だったのではないか?
格別の根拠はないが、古い時代の舟の建造は木材を加工する特殊な技術と道具を要した。
そのような条件を満たすには、特殊な工人集団が定住する必要があった。
異様にして・偉大な事を成す集団であったかもしれない・・・・
越後の国に、岩船<いわふね>郡あり。
”イはフネ”とばかりに、誤まることなく・しっかり応えているようだ