おもう川の記 No.33 阿武隈川の3

阿武隈川の第3節である。
阿武隈川がつくり出した景観は、ビッグ・スケールであり。観光資源としての蓄積は、他に無いくらい恵まれた土地柄だ。
川は、南から北に向かって流れ下り。その河床流域を古くは仙道、今日は中通りと呼ぶが、地形的に連なった一枚の平野ではない。
南より白河・須賀川・郡山・二本松・福島とそれぞれ市制の街区を1つのブロックとした,標高の異なる盆地が。例えて言えば、団子状に点在または一列に並んでいるところを阿武隈川が、串刺しして流れているのだと言う=実に気の利いた表現に行き逢って感心したことがある。
これほど良く名の知られた都市群を、貫く川も珍しいが。そのような舟運事情に恵まれた経済背景を持ちながら(=つまり人口集積・密度が高いこと)、内水面輸送が振わなかったことは不思議である。
その背景は、どうしてなのか?未だ要因を掴めないが・・・おいおいゆっくり考える事としよう。
この大河の両岸の景色は、どちらも山の連なりなのだが。右と左で、これほど違って見える光景もまた珍らしい。
それは何故なんだろうか?山の出来かたが全く異なるらしい
左側つまり川の西に聳える山々は、未だ若々しい火山の連なり
対する右岸=川の東に連なる山並みは、比較的なだらかな老齢期の山脈なのだと言う。
1本の川を挟んで、山の出来かた・性格の異なる山を対比して一望できる。それはそれで、シマグニらしくないスケールの大きさだ。
ところで、漫画家手塚治虫は、会津の旅を愛したと聞くが、彼が最も熱中したことは治虫(おさむし)じゃない。正しくは、筬虫<オサ=織物を作る機の道具、ヨコ糸を運ぶシャトル・ケース。形の類似から命名された。金属色の羽が美しく「歩く宝石」と言われる。>または歩行虫<後翅が退化して飛ぶ能力を失った。亜種・亜族ごとの地域分化・地域分布として狭い空間域に長く固定される>と書く、大型の肉食性甲虫オサムシ(昆虫)の収集であったらしい。
話題が突然あらぬ方向に飛躍するのが、筆者の悪癖である。実を言うと、阿武隈川の左岸と右岸の地学的差異をオサムシの居住分布で説明した研究報告例があると聴いた事はない。
しかし、オサムシ形態分類とDNA分析から日本列島の形成・古地形との重なりを説明しようとする学説は、相当以前から存在した。
ここでは、はしょって。結論だけを述べることにする。
阿武隈川の左岸には、いわゆる奥羽山脈と言われる火山フロント群があり、秋田・山形・新潟県へと連なる大きな火山帯の一画を構成する。
それに対して阿武隈川の右岸=阿武隈山地には、火山性の山は全く存在しない。
日本列島は大陸性島嶼であり。現在の地学通説では、両岸とも北米プレートのうちにある。
この狭い1つの県の中に、これほどの成立ちの異なる2系統の山がある背景が、筆者にはよく判らない。
日本列島が、ユーラシア大陸から切離されたのは、2千万年〜2千5百万年前とされる。その後、日本海の拡大にともなって太平洋に向かって東進し、現在も大陸との距離は遠ざかりつつあるとされる。
さて、オサムシと日本列島の生成とを重ねて論じたら、どうなるか?
オサムシを進化系統樹的に概観すると1千5百万年前頃に8系統に分化して、日本列島の8分類地域に分散居住していることが判明した。現在の列島は、主要4島で構成するとされるが、オサムシの系統分類では、1千5百万年前頃に8つの島に区分されていたであろうと推定される。
とまあ、危険を顧みずに略述したが。化石研究・地層研究などの立場から反論があるとも聞いておらないから、概ね妥当な仮説であると考えよう。
因みに、オサムシは、ユーラシア大陸から北米に多く住み、アフリカや大洋州・南米にも居ると言われる。知識の共有が進行途上のためか?データが一定しないが。世界に数百種うち日本列島に37種が住んでいると言われる。
地域分化と地域分布が、狭い空間域に長く固定される生物は、一般に「生きている化石」と呼ばれることがあるが、メダカやホタルなどもその類いとされる。
日本海の生成と拡大は、日本列島の大陸からの分離・東進運動と表裏一体だ。
その大地移動エネルギーは、東北地域に限れば、日本海溝に沈み込む太平洋海底面の西進活動からもたらされる。
大洋海底面の沈降作用と大プレート<=北半球では北米・プレート&ユーラシア・プレートが該当>の移動作用との相互の関係は、未だ十分に解明されてないが。列島付近の地震津波・火山活動と何らかの関連性がある事は、まず間違いないとされる。
空間域を東北地域から,少しだけ西に拡げると日本海佐渡能登半島へと達する。
上述した北米プレートとユーラシア・プレートの想定境界線を、佐渡島の東に位置する海中に描く例を見かけるが。フォッサマグナとの関係が未解明など仮説としての整合性は、未だ不十分と言わざるを得ない。
筆者は、10数年前にアイスランドに旅行したが。その訪問の目的は、ギャウの実地検分であった。シングベトリルの広い谷や、その周辺を走る無数の地溝を遠望すると。そこが北米プレートとユーラシア・プレートの岐れ目すなわち大西洋中央海嶺の地表露頭そのものであると納得した。
奥地に移動して、ギャウが接近して幅が狭くなっている所では、吾が両足で2大プレートを一跨ぎすることが出来た。
ギャウは、プレートが拡大している現場なのである。
今日只今もアイスランドで拡大している2大プレートは、日本海のどこかで再び出会う。
それは日本の位置が、アイスランドのプレート上の裏側に当るからだ。
一端が拡大端であれば、他端は、収束端となるはずだ。何故なら地球の大きさは、広がってない以上プレートのどこかで縮まるしかないからだ。
阿武隈川の右岸に聳える阿武隈山地を高くしたエネルギーは、ギャウの拡大エネルギーを吸収する一方策として生じた歪みであるかもしれない。