にっかん考現学No.20 あすかの7

前稿は、飛鳥なる地名が、古事記に出現しない事に驚いた旨を述べたが、古事記成って1300年だから寄道したわけではない。あくまでテーマの本筋は「飛鳥とは何か」の解明にある。
飛鳥の地名が、日本中のどこにでもある地名ではないこと。その限られた数の飛鳥の相互の間に、地名なり・地形なりに何らかの共通性があるのか、無いのか?
そして「あすか」なる言葉には、どのようなルーツがあるか?その事が当面の課題である。
前述の古事記の問題は、その一過程で生じた疑問である、その経緯はこうだ。
簡易なアプローチとして、古典文献資料の索引に、まず当ってみた。「あすか」なる地名が、古事記の索引に見当たらない意外に躓いたわけだが、その事を直ちに奇異なことと決めるのは、まだ時期過早であろう。単なる筆者の勘違いであるかもしれないからだ。
その勘違いと奇異とのギャップを埋める作業は、これからとして、最終結果の報告をするのはややあって後の近未来となることであろう。いささか、気長な探索・検証作業となるかもしれない。
気長となる背景は、日本書紀万葉集と対比にまで累が及ぶからだが。都合3つの文献資料に当たるための方向観が、予め定まっているわけでも。落着くべき着地があるか、どうかすらの見透しもない。
あるのは心細さのみである。
この時代の音韻と文字表記との間にも、多くの課題があって気が遠くなるほどだ。
隠れている暗唱や・見かけ以上に手強い岩礁が散在するようで、思わぬところで座礁・沈没する懸念がありそうだ。
さはさりながら、そもそも日本古代の古典資料は、誰が書いたのか?
本来、列島は無文字域であった。
そこにどのようにして、文字の文化が浸透・普及していったのであろうか?
中国で当時使われていた漢文字を、当時の生粋の日本人が書いたと考えてよいか?
それとも、漢から日本に渡来した人物が、書いたのか?
はたまた、韓半島から日本に渡来した人物が、書いたのか?
更に、その渡来人達の日本語に対する理解力は、果たしてどの程度であったのか?
とまあ、考えても答の出ない難問ばかりだが、世に有名な『万葉仮名』の表記方法だが、これが日本人オリジナルの大発明と決めつけてよいかどうかである?
どうもむづかしいようである。
東アジア広域圏レベルでの相互啓発による発明であるようだ。
今日はこれまでとします