にっかん考現学No.22 あすかの9

考現学とは、今をよく知って、未来を賢く生きる糧とする考え方だが。今を知るためには、過ぎた事の時間軸を遡り、ものごとの伝達経路つまり空間軸を実証的に辿る事で、追体験的に感じる必要もある。
解る事に達するプロセスとして、感じるがあってよいと想う。
アスカを飛鳥と書き、明日香とも書く。それは何故そうなるか?が、未だに判然としない。
探索すべき事柄は、スプレイ状に放散し拡大して行く懸念が現実になって来ている。もう少し、我慢していただきたい。
さて先稿に出現した飛鳥坐神社の神官だが。表札によれば、飛鳥が姓である。不躾を承知で、苗字の由来やルーツを尋ねた。
淀みなく、お話は続いたから。お答えはあったのであろうが、纏まった話題として聞き取るものはなかった。
初対面の氏素性も判らない、当方に対して、俄に答えるべくもないが。連綿として、凡そ1500年以上も、この国に住み続けていれば、今更ルーツがどうであるかなど。さしたる意味を持たないのかもしれない。
それに、神官と言う一般人と異なる立場は、何につけても、語らないこと。語る事を慎むように、求められていると、発言していた。
アスカなる『音』が、古代の韓半島に由来するか否かの判定は、これまた遠く・暗中模索の中にあるようだ。
さて、万葉集に出てくる「アスカ」を含む地名は、筆者の見解では、総数44件であった。ここで見解と表現するのは、底本による異同を踏まえた、言わば逃げ口上である。
そのうち、「飛鳥の アスカ」と言う表示例は、巻1−78、巻2ー194と196の3首である。
飛鳥の部分は、初句だが。筆者が採用した岩波古典体系本では、3首とも右頁(万葉仮名)が『飛鳥 明日香・・・以下略』<底本は、西本願寺本・竹柏園複製>であり、左頁(訓み下し文)の『飛鳥の 明日香・・・以下略。初句のルビが「とぶとり」とある』であった。
ご承知のように、飛鳥の=「とぶとり」のは、アスカにつく枕詞と説明されているが。枕詞の正体が、すべて解明され、公けの納得を勝ち得ていないこともまた事実である。
その代表が、『飛鳥 明日香』と筆者は考えている。
前稿で、紹介した「日本語の正体」(金容雲著)に期待したいのだが、果たして、失われた?カラ語や消えたか残っているかの百済語に頼る事が出来るであろうか?
今日はこれまでとします