にっかん考現学No.26 あすかの13

”あすか”は、日本の故郷であるとするキャッチ・フレーズをよく耳にする。
現在では広く支持された、古典的名言の類いであると言えよう。
しかし、根底にあるものは、意想外に意味深長なのかもしれない。
まず、「日本の故郷である」なる命題は、日本と故郷。つまり2つの構成語から成っている。
普通に考えれば、どちらの語も迷いようがない。自明の言葉のはずだが、、、、あえて触れることにしよう
○ まず、〔日本]なる言葉の意味について
現在の日本人が共有する日本観と、”あすか”の地に人が定着し始めた頃の時間軸における日本観とは、果たしてどの程度重なるだろうか?
筆者は程度においてほとんど重ならないと言いたい。
特に基本要素において重ならないほうが大きい。と考えるが、詳論は後述とする。
○ 次に、〔故郷〕の意味だが
故郷とは、先祖が始めて新たに切拓いた空間域である。今まさに8月の中旬は、盆であり・墓参りの季節であり。自分のルーツの地である場所=故郷を目指して移動する時節である。とまあ、筆者は考えるが、果たしてどうだろうか?
多くの人は、故郷の地では、平穏・安堵の心をもって、素直になれるのではないだろうか?
さて、詳論に移ろう。
”あすか”は日本の故郷である<前々稿・前稿で紹介した2著より。梅原猛著「飛鳥とは何か」では第1章冒頭29頁・門脇禎二著「飛鳥」では終章末段284頁>のだから、我ら日本人のルーツ=あえて厳密な言い方に拘れば大王家のルーツだが=は渡来人であることになる。
筆者は、それで何ら違和の感じがない。しかし、多くの日本人の純血民族観をもってすれば、果たして受容出来る内容であろうか?
読者個々人が受容するか否か? その対応を決することなので、ここではこれ以上論ずることをしない。しかし、個々人が対処を決するに当たって考慮するべき背景たる歴史知見について、2〜3紹介しておきたい。
まずは、1998年10月韓国大統領金大中氏を公賓として迎えた晩餐会の場における平成天皇のお言葉である。もちろん、新聞に載った要旨からの引用だが、「前略・応神紀によれば百済から王仁が来て太子を教えた(中略)、当時国と国の関係と別に個人と個人との絆が深く結ばれ・・・後略」と、往事になぞらえつつ。個人=市民と市民の間=草の根レベルの交流を呼びかけており、結果としてその後のFIFAワールドカップ共同開催を招き寄せ、冬のソナタに象徴される韓流(=韓国内で制作したドラマのこと)ブームの爆発と定常的放映などの定着化現象を開くキッカケになっている。
お言葉の波及効果である日韓親善友好の功績は、まず第一に平成天皇の業績として認められてよかろう。
明治律令復古王朝4代目にして初めて、明治以来の国是たる軍政侵攻戦略を放擲する平和外交姿勢・近隣友好親善基調方針を明確に打出しており、神国の伝統<=環海国境観が作り出した幻想だが、>からスピンオフした元首として長く記憶される存在となるであろう。
今日はこれまでとします