にっかん考現学No.36 

引き続き地名と言葉の関係について述べる。
日本列島の中でも北東北と北海道は、古代における政治支配が及ばなかった特殊な歴史的事情から、独特のスタイル=つまり地形由来の地名すなわち言葉が示す意味から地形を推し量ることが可能な古俗を保存していることを、前稿で述べた。
しかし、それがアイヌ語地名であることに、いささか抵抗あるとする考えもあろう。
前稿で日本語由来の古い地名が破棄された政治的背景を述べたが。それで論拠上の必要条件を満たし得ても、十分条件まで達しているかと言えば、いささか心もとない。
仮にそこを満たすとなれば、地名として失われた日本語表記とアイヌ語表記との間にどのような(=言語学上の類縁または疎遠の)関係があるか?を論証すべきであろう、、、
だが、筆者の力量を考えれば。能力の質からも・こなし得る時間(量)からも、着手すら覚束ない。
とまあ、断わりをほざいた後に、1つだけ例を示すことにした。
北海道の地名は、日本語と古代韓国語との中間に位置するアイヌ語発音を万葉仮名の流儀でもって、現代に残された。筆者はこのように考えているのだが、そこのところをデッカイドウの空間で、個々に取り上げるのは、実にヤッカイドウである。
厄介な点は、3つある。
1、 北海道の地名が文字表記されるようになったのは、江戸時代の半ばから明治にかけてだが。何故 発明から1,000年以上も経過した、万葉仮名の流儀を復活的に使用したか?
2、 この分野の先行研究者に、金田一京助知里真志保・既に紹介した山田秀三などの諸氏がある。皆既に物故している。
3、 上述の命題で「アイヌ語発音を」と述べた。殆どの地名はその例に含まれるが、例外もあると最近気がついた。
以下、3=”例外のケース”について述べる。
旭川市は札幌に次ぐ大都市だが、その起こりは幕末頃既にあった番屋とか?村となったのが明治23(1890)年、命名もその頃道庁の意を受けて永田方正氏が行ったらしい。
山田秀三氏が、アイヌ語地名を歩く<北海道新聞社・昭和61年刊。120〜123頁>に書いている。
命名の経緯は、以下のとおりである。
明治20年頃道庁で、ある意見が持ち上がった。
アイヌ語を意訳した日本語地名に置換えよう』
ここから筆者の見解だが、
a=それ以前は、音訳であったこと  
b=音訳の地名では、日本人は使いにくかったこと 
c=置換えだから、bベースの既存地名もまた見直しの対象とされた可能性がある。
  実際にそれがどの程度実行されたか?
d=旭川が置換に該当するか否か?
いずれも言及が無い。とりあえず4点をおさえておきたいのだが、おぼつかない。
以上から旭川命名は、意訳であって音訳でないことがほぼ確定的だ。
この発想は万葉仮名を発明したとき採用された手法の1つと同じである。
山田氏は文献を引用しつつ意訳の根源となった4つの事象を紹介している。
イ、 忠別川の水源は、東に当たる方角である・・・・日も月も東から昇る。よって東川
ロ、 忠別川は夏日水涸れ 秋大いに漲る・・・・秋になると食用の魚を捕る。よって秋川
ハ、 忠別川は別名槐川 ・・・・ 川の畔にエンジュの大木でもあったか? 説明は無い
二、 忠別川の上流にその昔、月くらいの星が堕ちたとの伝承がある
さて、以上の説明で、旭川となった事情がお判りいただけたろうか?
筆者は、旭の字を朝なる文字に置換えて、はじめて納得するに至った。気づくのに10日かかった。
事象で言えば、イ&二であるが。文字要素に着眼しよう、同音でも一方は日&月・他方は月が無い。
ことほどさように意訳は、万葉仮名同様 後日のフォロウが難しいのである。
余談だが、番屋から村へ・そして大都市に発展した事情を考えれば”ロ”説がふさわしい。さすれば、秋川市となっていたかも
いずれにしても、ここは発展するだけの地政学的要件が備わっている。上川盆地の入口に当たること・忠別川石狩川の合流点に近いことなどだ。
今日はこれまでとします