泉流No.103・104 福吹寿老

夏がゆき  秋そこそこに  別れけり
かにかくに  心があつき  最上川
〔駄足〕 この年は、暑さがいつまでも残るような感じの夏が去り行かない妙な日が10月の始めころまで続いた。中旬の初めの日に訃報を聞いてとにかく駆けつけた。
実父の享年84歳を超えたいと言うのが、日頃の口癖だったと聞いた。近年では唯一の願望であったのかもしれない。
望みは叶ったし、お別れの会に現れた所謂本家筋の当主の談によれば、命日がまた同月同日なのだとか・・・
故人は、斎藤茂吉派の歌人であった。最上川の上流と河口の町に隣接する町に生まれ育った、同県人にして同好の後輩であった。過ぎたイラク戦争の頃には、反戦歌50首を発表するなど、平和を愛好する熱情にあついものを感じた。
まだある。拙宅が東京世田谷の代沢にあった頃、お招きしたことがあった。
ちょうどその頃、北沢川が暗渠になったアトを下水処理後の再生水を流すために人工河床を拵えて、散策路に作り直した直後であった。
その清流の中のクレソンやメダカの群れを眺めながら、「メダカロード」と命名したのが福吹寿老であった。
それから、もう10年以上の月日が流れたが、その後も継続的にメダカを追いかけていたらしい。
メダカ衰退・絶滅の背景に,水田農地の農薬汚染に警鐘を鳴らし自然環境維持を訴えるなど、地味ながら着実に発信活動に結びつけていたのであった。
合掌
〔駄足の蛇足] 最上川の河口は酒田市だが、山形県の沿海部を庄内地方と呼ぶ。
庄内地区には、大きな市が2つある。酒田と鶴岡。目玉焼き・ダブル構成。このスタイルが何とも日本離れしている。
酒田は商業中心・鶴岡は藩政期の城下町だから歴史的に政治中心。とまあ、機能分担・役割分割のスタイルが世界水準に達しているのである。オウジィー・ニュウジィーの大洋州のみならず、カナダやUSAの連邦・各州が概ねそうなっているようである。
庄内がホットな土地柄であることの1つの背景に、2つ目玉の効能があると筆者は狙いを付けている。
政経分離は、社会健全のカナメだが、ある程度の距離をもって隔てられること=スウプの十分に冷める遠さが備わるべきであるようだ。
庄内の基幹産業は、水稲耕作である。その長期安定は、日本の中でも並ぶものが無いのではなかろうか?
と言うことは、温帯立地としては世界一流の水準と言えよう。
何故そうなるか?岡目八目的に結論を述べてみよう。
措定仮説として・・・・・庄内平野のコメを支えるもの。それは水と太陽である。
庄内平野は、北と南に分散して各1つの高山が聳えていて、雲を集めているから?平野の真上の空は晴れやすいようだ。
そして、耕地に水を供給する最上川は、概ね東から西へと、平野の中央を南と北に偏ることなく、悠々と流れて行く。
旅の者の眼に映る水=最上川&太陽つまり晩夏の晴天を齎らす2つの山=鳥海山・月山。
植物生育にはもう1つ肥沃な土壌が必要だが、土の中の事は旅行者には見えない。
だから、この際ノウ・コメントである。