にっかん考現学No.28 あすかの15

今日から9月。あすかの章も第15稿に達し、いったん閉じるとしたら実にキリが良い。
有り体に言えば、それ以外に確たる成果が無いから、この章を投げ出すのかもしれない。
さて、飛ぶ鳥の飛鳥なる言葉の由来を探る道筋は、辿るべき道も見つからないが、達するべき当面の到達点も見通せない。実に困る。
あえて、手がかりを述べれば、ことばの世界。手がかりは言語・文字にあるのかもしれない。
万葉集と万葉仮名・そして大和言葉についての長い探求の旅が今後も果てしなく続きそうだ。
文字の世界に目を転ずれば、白川静香なる金字塔的存在の偉材がいる。
彼の創始した白川学は、若い頃異端視される憂き目を見た。しかし、晩節に文化勲章を授与された事実からして、彼は研究の正統性を生前中に公認されたのであった。
さて、これまでの稿で、韓国の理学博士・金容雲氏の著書「日本語の正体」を紹介したが、ここで再度その内容を引用してみることにする。
 「日本の飛鳥王朝と百済王家は親戚関係(実際は百済の分国)にあり、応神以来天武の代まで約260年間、
  百済王子と百済学者が天皇の側近にいたのです。さらに、百済系の学者たちは百済式の訓読を普及させ、
  普段は百済語を使っていたのです。つまり、宮中では百済語が使われていました。」同書132頁より
この引用は、ボリュウム的に極めて少ない部分なので、多くの読者は唐突に感じ反発すら覚えるであろう。
時あたかも、日韓の間は、竹島・独島の領有を巡って、ぎくしゃくしている。ここではその問題には、あえて踏み込まない。
さて、引用の中身だが。1・2の箇所をのぞいて概ね異論は無いと言えよう。
先の稿で2つの著作を紹介したが、飛鳥の地の古代における属性と引用箇所との間に、重ならない齟齬は無いからである。
再論すればこうだ。
所謂アスカの大王宮廷は、次々と断続的に明日香の地に造営され。その周囲には多くの新来の渡来人が居住していた。とする2書が記述する客観的史実と合致している。
さらに引用文の中にある『百済式の訓読』とは、何か?
筆者なりの理解では、漢由来の文字を原発地である中国における当時の中国語読みでなく、自国流の発音でもって読み上げたことを意味する。
古代の日韓共通文字は漢字だけだが、外来文字の受容方式もまた共通で、我が国の万葉仮名と同じ受け入れ方を発明した事になる。高句麗新羅百済では、「吏読・りとう=つまり自国固有言語を漢字の字音を借りて表記する事」と呼び、韓半島では19世紀末まで使われていたと述べている。
今日はこれまでとして、明日この章を閉じることとします