にっかん考現学No.25 あすかの12

3月1日から始めた、この「にっかん考現学シリーズ」だが、今日から6ヶ月目に入る。
現在進行中のテーマ=”あすか”は、5月の中旬から手がけ始め、今日で第12稿となる。
このテーマが、意想外に重い課題であることに、遅まきながら気づき始めている。連日の猛暑に閉口しながら、資料チェックの日々がいつまで続くだろうか?と思案している。
前稿で”あすか”に関する2つの著作を紹介したが、本稿ではそれぞれから各1点を引用することで、論点を絞り込むこととする。
まず、”あすか”の始まりは、いつか?  所謂時間軸の抜出しに『飛鳥』のお出ましを願った。
『飛鳥』の巻末287〜294頁に詳細な略年表があり、西暦538年辛亥の変<継体大王の変死を意味するか?>から始まり〜702年持統太上皇の死去をもって終わっている。結論を急げば、この約160年間に、”あすか”期の始まりと終わりとが含まれていると、ざっくり応えておこう。時間軸の詳論は、著述の都合上後述する。
次に”あすか”はどんな所か? 所謂空間軸の抜出しに『飛鳥とは何か』のお出ましを願おう。  
もちろん、宮が置かれた所とする歴史上の事実は常識だから置いといて。ここでは知る人ぞ知るトピックス?記事にスポットライトを当てたい。『飛鳥とは何か』第1章45頁に”飛鳥は帰化人の故郷である”なる明文があり、その節の見出語(41頁)にも”亡命帰化人居住区=飛鳥”なる、言い方も出てくる。この空間軸の詳論も著述の都合から後述することとしたい。
お俟たせしました。先送りした時間軸の詳論にまず入り、そのアト空間軸の詳論に移ることとします。
○ 時間軸について
索引なし。付録の年表や略図と本文との平仄が合わないことが往々にしてあるので、一般論として注意を喚起しておきます。因に、この著作の副題はーその古代史と風土ーであり、脇題?にー読みなおす日本史=なる、これまた意味深い字句がしっかり備わるのだ。
著者は、門脇禎二(1925〜2007)氏、教科書検定に縁遠い京都・奈良に学統がある人物だけに、ー脇題<上述>ーがいっそう輝やく感がある。この著者の”あすか”尽しの徹底ぶりは有名だが、この死後に刊行された最新著作<刊行は今年7月ながら1977年9月の著作>がおそらく最後の著作となるであろう。まだある、1970年NHKブックスから刊行された同名著書(副題も同じ)の改訂と言いつつ<まえがき>、旧版・新版扱いする<あとがきで>など異例であり。更に登場する称号・人物の名についても天皇・皇太子に代えて689年以前のそれである大王・大兄を使用する<5頁・まえがき付記>と宣言しており、僅か7年の間の史実解釈なり・歴史的知見の激変ぶりに驚ろく。
筆者は、”あすか”に宮があった時代、飛鳥にあった政権は地域国家の1つに過ぎず、国つまり統一大和王朝として認めるべきでないとするのが、門脇説と理解している。
なお、最後に注目すべきは、前述の略年表だ。
645年の記事に、曽我本宗家滅亡とあるのみだ。おなじみの大化の改新なる決まり文句がスッキリ無いことに注目したい。既成概念・用語の惰性的継続使用と横並び事勿れ口ずさみの国民性も、2011,03,11,をもって廃棄された現代ただの今新社会が実現しつつあるかも・・・・・・
○ 空間軸について
索引なし、付属年表や略図につき一般的注意は上記に同じ。略地図があるので、”あすか”空間の概念的把握に好都合だが、原著作が1980・再編集が1982といっそう早い時期なので、用語・ベースにある歴史的知見が今日的常識にそぐわないことが多々ある(代表例に引用語の帰化人がある。渡来人へ置換えるのが通例化した)。
著者は、梅原猛(1925〜)氏、この人も学統が関西、専攻学類が哲学系・仏教学系。通称ー梅原日本史ーと呼ばれるくらい、史実解釈・歴史的知見の根本的見直しに貢献したことは有名である。文化勲章授章者。
この著者の言わんとすることについての筆者の理解だが、”あすか”に宮があった時代、宮の周囲には外国から渡来して未だ日の浅い渡来人が集中居住していたとの指摘である。
今日的に言換えれば、皇居を外国人居住区の中に、わざわざ?置くかな・・・・・かなり、センセーショナルなオリジナル度の高い指摘である。”あすか”期の国際感覚は、2011,03,11,以前の日本人の常識とは、著しく懸け離れていたとするのが梅原説であるようだ。
今日はこれまでとします