にっかん考現学No.29 あすかの16 

この・あすかの章は、昨日をもって閉じるはずであったが、不手際により今日閉じることにした。
さて、昨日の稿で言い残したことは2つ。
1つは、引用書の記述。アスカの大王宮廷では、百済語が使われていたとある点である。
疑わしい。
漢語なる共通の文字を使いながらも、こっちは万葉仮名で、先方は吏読詠みで、音が異なるのだから、会話は成立しない。会話でもって意思の疎通がないものを百済語が使われていたと記述することは出来ない。
ただ意思の共有は十分になされていたことは疑いない。筆談に拠る対話である。
2つめ、アスカ大王の出自である。百済王家の分家としているが、おそらくそうであったろうと考える。
筆者は、王家だけではなく、当時の列島の土地の上に居住していた人民の過半数が、韓半島由来の・つまり百済新羅高句麗から渡来した”民”であったと考える。
東アジアの軍事的膨張からシマグニに逃れて、海の水たる自然防壁をそのまま天賦の国境とみなし、安住の地とした者たちである。
ただし、そのことをもって、日韓同祖と即断してはならない。アスカ大王家と百済王家は、同一のクランであろうが。王家に属さない普通の民は、渡海のための出帆の地が韓半島だっただけでしかない。
まさしく東アジアの民であり、渡った海もまた『東アジア地中海』であった。
これ等の大集団を騎馬民族命名したことがアダとなって、総スカンを食らった先達の学者がいたそうだが。騎馬とせずに、草原とか遊牧とかの文字を使うべきだったかもしれない。馬を列島に運んだ民はまたコメを作る技術をも携えていたのだから、騎馬民族渡来説は全く誤ってはいない。
総スカンを食らわした原因はこうだ。
何事をも「1つに落とし込んで安心する」単元主義=この近現代に形成された国民性が、作り出した妄想こそが原因である。蒙古襲来アレルギー・シンドロームとでもしておこうか?それとも神州カミカゼ信仰と呼ぶ方が相応しいかも?
さて、これからが今日の稿である。
アスカとは、飛ぶ鳥=鳥瞰による景色でも、明日=未来が安定して過ごせる、地=居住場所の意である。
以上が筆者なりのまとめである。
本音を言えば、結論に至るのは、東海・山陽・山陰・紀伊半島南部の実査を経た後としたかった。その地には、古代からアスカの地名が存在する。そして国内訪問の後に韓半島に赴いて、かつて百済王家が存在した王都を鳥瞰した後に、結論に至りたいと思っていた。
しかし、ヒマとカネと足の用件を充足できず急に変心して、上述の仮説を示すことにした。
アスカのアス=明日とする。特に説明を要しないと思うが、如何であろうか?
アスカのカ=地とする。これは説明しよう。
カ・ガ・グヮ なる音は、いずれも”地・土地・場所”を指す。例えば、加賀・春日(カガ・カスガ)など、渡来人の密集した地帯の呼び名だ。ついでに財政の世界には、”予算の箇所付け”なる「カ」と所が連なる言い方があるらしい。馬から落ちて落馬するみたいな言い方は、念押しの効用はあるかも・・・
おまけの説明 ・・・・ 大和言葉式の解をもって、意味に至る手法とする。
アスカはまたイシカワに転音する。
石川は県・郡・市町村の名として、列島内に目白押しだ、、、
アとイは母音、音韻構造的に遠く、五十音図では隣に位置する、同行通音化できる。
スとシは、同行通音により転音しやすい。ここで東北弁を思い出すべきでない、、、
残るカとカワは、上述のグヮなる音の表記をゆっくり発声してみれば納得であろう。これは沖縄人が多用する言葉かも、、、、
おまけのおまけ ・・・・ アとイ
日本では、人の出会いに愛。韓半島では、男女の出会いから子(=アイと呼ぶ)が生まれる。
母と子の愛は最強であるらしい、因に、愛はいとしい意味である。
この『いとしい』の”い”は「いのち」の第1音、”としい”は等しいの初音が欠落したカタチと言えよう。
愛する人とは、自分の命と等しいくらいの存在、つまり献身の対象たる他の人だが分身的一体と思える人だ。
あすかの章は、以上をもって いったん閉じることとします。