にっかん考現学No.37

東アジアの当面の課題は、数多くあるが。ここで採上げるのは領土問題である。
大きな掴みで言えば、11月半ばの今日で、そろそろ3ヶ月が経過する。
列島の国は、何のアクションも起こさなかった。
この3ヶ月間、何事も為さないまま。ただただ、問題を先送りしてしまった。
決まり言葉に?”ヒトの噂も75日”という言い方がある。
75日の起算は、この67年の間つまり戦後時間では8月15日から計算される。
列島以外の東アジアに、同じ”決め言葉”があるかどうか?それは知らない。
列島の上に住む民族の健忘症は、極めて身勝手である。
過ぎた戦争とは、第2次世界大戦。その中の東アジアならびに西太平洋を空間圏域とする戦争を指す。
しかし、列島住民たちは、言葉を歪め=”太平洋戦争”としか言わないことで事実をねじ曲げる。
”太平洋戦争”なる言い方は、被害者に自らを置きたい願望を象徴している。
そしてその困った用語法が、強く誤解を植付け・一部国民に信じ込ませ・我が儘を増長させる。
あえて戦争域を限定して、アメリカとのみ戦い・アメリカに負けたと、歪んだ思い込みである。
その健忘性失語症候群は、忌避すべき国民性の1つである。
それが証拠に、東アジア圏の諸国にとって、8月15日は国民の祝日であったり・国を挙げて祝賀を交わす日である。
武力に頼って侵攻した国が敗退を宣言した日は、彼らにとって喜ばしい解放記念日なのである。
解放とは即ち、列島住民の先輩たちが彼の国々に加害した事実を物語る。
加害者は速やかに忘れたい・または忘れてしまったことを、被害を受けた側はいつまでも忘れないものである。
列島人の中で公やけに選ばれた立場の閣僚が、8月15日、とある神社に参拝することは、被害者に悪夢の再来が近い将来にあるかもしれないことを想起させる。
が、かつての侵略国は、今回もまた何もせず。ただ先送りして・何事も為さない。それが習い性であり・国民性の1つだ。占領された被害者の立場と対米屈辱をのみ回顧するが。加害の事実は忘れてしまっているから、何ら問題視する風潮が無い。
それはまずい。領土問題は対外課題だから、実にまずい。
未来に向かっての姿勢を明確に宣言しておくべきである。
ここまで書いてくると、「姿勢は明確である」と非難されそうだが。その者の立場は、過去についての独りよがりの単なる放言でしかない。
過去だけを論ずれば水掛け論となる。いつの時代をとっても双方ともに言い分があるに決まっている。
そんな一方的放言は、誰にとっても前進では無い。半永久的に未来に向かいあおうとしない姿勢の表明でしかない。
尖閣の方はメディアが放映していた。相手国の漁船と海上保安庁とが、猛烈に水の掛合を演じていた。
水のぶつけあいで留まる分には、怪我もまず無い。塗装の弱い鋼板に錆が早まるくらいのことだ。
時間とエネルギーの無駄だが、いつまでもラチがあかない点で、放言の応酬に似ている。
相互の利益も・メリットも将来に向かって開かない、その点において全くの無駄だ。
列島側の言い分は、日清戦争から世界大戦までの時間軸を切出すだけ。痴呆症的妄言を何度も繰出す威勢の良さだが、平和憲法の精神に食い違っていて唇が寒いだけだ。
何もしなかったツケは、ユーロ通貨体制発源不況に追い打ちを掛けるように対中国輸出不振をもたらした。イシハラ・尖閣不況とでも命名しようか?
さて、予定の紙数はとうに尽きた。領土に関しては、まだ2つある。
北方と日本海である。どちらも他国側が実効支配している。実効支配している国は、それぞれロシアとアメリカである。
後者については、何故アメリカといぶかる御仁も居られるであろう。
韓半島に限れば、1945年8月15日以降今日まで解放は実現していない。
列島発源の侵略軍が立去った後をアメリカが引承けて居座ったままだ。
1950年に起った国内分裂戦争も休戦協定が成立したままである。
日本海オホーツク海域に限れば、未だ終戦は実現してない。東西冷戦の残滓は、東アジアだけだ。
北方領土竹島・独島境界問題も、東西冷戦が終結する時まで解決しないに違いない。
今日はこれまでとします