泉流No.101 米出の地

* 豪壮に  惜しマず 米出ス  能登の民
[駄足]  日本列島の屋根、それも標高1,500mに位置する国定公園根子岳の登山口から、この日本海の海沿い地の街へ移住して来て、もう3年半が過ぎた。
日常の基礎は、ガーデニング・ファーマーにあるから、それなりに多忙だが、、、時に能登半島を海岸沿いに走って、ドライブする。
自動車専用道路が能登に入る。最初のインターチェンジが、米出<こめだし>ICである。
何か曰くありげな、地名だと狙いを定めて来た。凡そ3年以上経過して、格別の進展が無かったが、数日前に訪問した宝達山頂上において、地名成立の由来を聞く事が出来た。
因に、宝達山(ほうだつさん。標高637.1m。能登地域の最高峰。羽咋郡宝達清水町<はくい・ほうだつしみず>にある)は、特産品の葛、農業用水の水源がある。
かつて、江戸期には加賀前田藩内で数少ない黄金の産出鉱にして、修験道の山であった。
さて、地名の由来だが、麓の押水地区は、海産魚介類豊富な能登の中で珍しく米が採れた穀倉地帯だが。目の前の遠浅の海浜から、米を積み出し。北前船に積み込み、主に大阪方面に運んだのだと言う。
とまあ、米出<こめだし>とはオーソドックスな地名。最上級のシンプルさではないだろうか、、、、
さて、句の意だが、筆者の頭には、東日本大震災を風化させてはならないとの想い?
いささか聞き違いがあったらしい。
惜しマず=これは、米出地区がある旧・行政区分 押水(おしみず)が、正しいのであった。
米出ス=これもまた、酷い曲がり耳のせいか  米出<こめだし>と、聞き取るべきであった。
[駄足の蛇足] 
日本海は、東アジア地中海だとする。立場の人が居る。
あのヨーロッパとアフリカ大陸の間にある「地中海」は、固有名詞ではなく・普通名詞であるとも聞く。
地図の南北を逆にした、地図を見た事がある。ほぼ真ん中に、突き出たバナナ形状の能登半島は、イタリア半島になぞらえる事が出来る。
さて、以上が空間系の話のとば口としたら、、、、、
時間軸の話は、古代における対大陸外交の歴史になるのが必定である。
古代・能登に、九州太宰府に次ぐ規模の、外交使節受け入れ機関があった。
現代の没落著しい過疎地域扱いと対照的に、外交を担当する中央官庁と直結する立場の能登国は、周辺の加賀や越中を差し置いて、重く扱われる地域であったようだ。
たしかに現在から想像し、時間軸を遡って、古い昔を描く。そんな歴史理解は、ほとんど危険であって。そこから得るものは乏しい、と言えよう。
古代の海洋移動は、帆船である。季節風が主な動力源であるから、1航海における往復は、普通に1年かかる計算である。
海流と季節風とを考えると、海に突き出た能登半島地政学的優位性は、古代において抜群であった。
北前船=帆船の活躍は、ほぼ江戸期半ばから始まり、明治の30年代をもって終わったらしい。
その衰退の原因は、電報の普及・鉄道輸送の拡大・動力船による定期かつ計画的運行など。時代の波により、潰され・押し出された面があったようだ。
400〜120年前の昔、板子1枚その下水地獄、死と隣り合わせとなる北前船。乗組応募する若者の中に、米づくりの農村の子弟が、混じっていたかもしれない。
能登産の米を大阪表に遠路運び込んで、大儲けを企らむ。果敢にリスクに挑戦する事業家精神が横溢する、能登は海民ロマン族が屯する土地柄であったかもしれない

日本海繁盛記 (岩波新書)

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