高尾山独呟百句 No.7 by左馬遼嶺

世の中の 花々終り 爪が伸び 〔駄足吠語〕 花綵(はなづな)列島固有の気象とも言うべき、四季の推移は、近年薄れつつある。 夏と冬・もしくは乾期と雨期の間の、何とも表現し難い「花の季節」が今年は楽しめたが・・・・ 果して来年はどうだろうか?そんな…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.10

先祖還りに伴う糞尿譚の前半部=フン戦記は、前稿で終った。 今日は後半部=尿闘談である。 目が覚めている日中の時間帯は、さほど問題は無い。ネックはやはり夜間にある。 入院中誰かの画策が奏効してか?日中ばかり、1日に3度も脱糞した。 これで夜間就寝…

北上川夜窓抄 その33<遠野・番外編=通算第5稿> 作:左馬遼 

遠野は北上川の流域都市である。 遠野物語は、日本民俗学の創始に寄与した柳田国男の大著だが、著述の主要テーマたる山人研究は、やがて終結を見ないまま間もなく放置されてしまった。 その原因・背景をさぐろうと。この稿を書き始めて、本稿はもう5稿だが、…

高尾山独呟百句 No.6 by左馬遼嶺

山吹に はなみずき沿う 春の宵 〔駄足吠語〕 ここに来て、どうにか、天候が安定を増しつつある。 上空の寒気団が強く張り出すせいらしく、天気予報は不測の分だけ、慎重に公表されるらしい。 にもかかわらず、実際の地上の天気推移は、このところ晴れる方に…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.9

寝惚け爺ぃの想い出噺は、つまるところ”先祖還り”譚に落ちて行く。 ここでは糞尿が主たるテーマである。 何故なら先祖に近づくと言う事は、幼児化であり・赤児に戻る事だから・・・ 数週間ベッドから離れる事を禁じられた。その期間を通じて、オシメをしてい…

北上川夜窓抄 その32<遠野まとめ=通算第4稿> 作:左馬遼 

遠野は、北上川の流域である。 遠野物語は(明治43・1910刊)、遠野の住人佐々木鏡石よりの聞書きを以て。日本民俗学を開創した巨人・柳田国男(1875〜1962)が著した。 山人外伝資料(大正2・1913刊)は、同じ著者による日本民俗学の基礎を拓いた大著だが、…

高尾山独呟百句 No.5 by左馬遼嶺

しずまれよ ふぶきにイカダ 雨と風 〔駄足吠語〕 標題句を漢字で書くとこうなる 鎮まれよ 花吹雪に花筏 花嵐 この年の一期一会の花とも、ついにお別れである。 来年の再会を胸の奥に秘すのみである。 閑話休題 実景を踏まえているが、幾つかのシーンを眼の奥…

高尾山独呟百句 No.4 by左馬遼嶺

こぞのサクラ 憶い出させる いちえ花 〔駄足吠語〕 標題句を漢字書きするとこうなる 去年の桜 おもいださせる 一会ばな ◎去年=こぞは、もうすっかり死語化しているかもしれないと想い。まず古語辞典を引き・更に広辞苑(電子版)に載っていることを確かめた…

高尾山独呟百句 No.4 by左馬遼嶺

こぞのサクラ 憶い出させる いちえ花 〔駄足吠語〕 標題句を漢字書きするとこうなる 去年の桜 おもいださせる 一会ばな ◎去年=こぞは、もうすっかり死語化しているかもしれないと想い。まず古語辞典を引き・更に広辞苑(電子版)に載っていることを確かめた…

高尾山独呟百句 No.3 by左馬遼嶺

玄関に 妻の声聴く 沈丁花 〔駄足吠声〕 ジンチョウゲは、処によるが、概ね春分の頃に、花開く。 花が咲くと、香りが想わぬほど明瞭で、春の宵を彩ることがある。 芳香を放つ花木に、キンモクセイがある。 こちらの開花期は秋だが、吾が家ではこの2つが春と…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.8

呼吸器がいかれて、食が細くなると、ヒトは確実に衰弱死ゾーンに飛び込むらしい。 筆者の場合も、75日間の入院中に、主治医から臨死状態の予告が行われた。 ちょうど1年前のことである。 パートナーから退院後にその事を聴かされて、ぼんやりと憶い出すだ…

高尾山独呟百句 No.2 by左馬遼嶺

遠山は 白く。近野は 黄にくれない 〔駄足吠声〕 実景描写であるが、いささか技巧に走り過ぎた感がある。 一望二相三色を捻り出すためと、定型の5・7・5音に収めようと無理をした。 結果的に、字余りとなっている。 フツウは見たことがない句読点を使って…

高尾山独呟百句 No.1 by左馬遼嶺

春めいて やがてようよう 春が来る 〔駄足吠声〕 この春(新暦。2017年)は、晴天続きだが風は冷たい。 此の地北陸の過ぎた冬は、山雪であったらしい。夏までに電力事業と稲作水田を潤す恵みの源である。 仰ぐ空に太陽があり続ける限り恩恵が尽きぬ自然エナ…

北上川夜窓抄 その31<遠野・続続> 作:左馬遼 

遠野は、北上川の流域である。 遠野を2度まで訪ねた記憶がある。しかし格別に想い出すことはない。 その点、”遠野物語”は、何かと深遠である。 日本民俗学は、”遠野物語”を以て、巨人・柳田国男(1875〜1962)が道を拓いた。 先の稿でも触れたが。”遠野物語”…

いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.7

人の一生は重き荷を負うて行くが如し これは、徳川家康が残した言葉だったろうか? 幼くして隣接大藩である今川家に人質に出され、成人して間もなくの頃、桶狭間の戦いで織田勢の急襲に遭い。主家当主の今川義元が討死にした。 駿河遠江を領する大藩が瓦解す…

北上川夜窓抄 その30 作:左馬遼

遠野は、北上川の流域である。 太平洋岸と岩手県内陸部を繋ぐ交通の要衝にありながら、日本列島の古い文化基層の成り立ちを知るために重要な地域である。 冒頭よりやや脱線だが。前稿で歌曲「椰子の実」を取上げ、柳田国男と島崎藤村との親交を述べたが。い…

いかり肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.6

行きは良いよい、還りは怖い。 吾が生涯最初の沖縄行は、そんな思い出とともにある。 酸素ボトルを常時携行する妙なタコオヤジが飛行機で来て、那覇の街に居る。 そんなイメージを多くのウチナンチュに与えたのかもしれない。 実を言うと、沖縄の海は,サン…

北上川夜窓抄 その29<遠野> 作:左馬遼 

北上川の源流は、複数あるとされており、いずれも訪れた。 分水嶺の向こうは,馬淵川(まべちがわ)の流域であり、ほぼ未だ踏込んではいない。 だがしかし、それでも岩手県は広い。 実際にマイカーで走ってみた感覚と厳然たる事実とが、時々・度々に食い違う…

いかり肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.5

乏才無芸のホネ五郎が古希を過ぎてから、障碍者の認定を受け、想定外の余生を生きる境遇に陥ってしまった。 当初は、軽く受止めていた。野次馬的観察の対象に自分がなってしまった。その程度の軽みであった。しかし、半年も過ぎて。それなりに狭い世捨て人の…

北上川夜窓抄 その28<実方と歌枕d> 作:左馬遼 

歌枕とは、筆者流の解釈では、地名の一群集のことであって、列島に居住した数多くの人々に愛された地名である。 世界遺産が定着した今日の状況を踏まえて述べると。「歌枕」は、歌人のみが独占する地名でもない。多くの列島居住民が広く共有し、名所・旧跡と…

北上川夜窓抄 その27<実方と歌枕c> 作:左馬遼 

時は平安中期、西暦紀元1000年の頃のことである。 このシリーズ内・部門稿の記述も想像以上に手間取ってしまい。今日が第3稿である。 そこで、<実方と歌枕>なるパーシャル・タイトルを、今日思いついて俄に追加した。 さて、懸案の清少納言が登場する。 実…

もがみ川感走録第55  もちの話7

手前味噌だが、吾が著作たる川シリーズの中で この”最上川”は、基幹著作となりそうだ。 餅が好まれる事において、最上川流域を含めた東北地域は、特異なフィーバーを見せる最後の秘境になりつつある。 新庄のクジラ餅に始まった、体験的プチアンソロジーであ…

いかり肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.4

いささか危なげなタイトルである「いかり肩ホネ五郎の病床ネボケ話」だが、 前半に当る『いかり肩』の標題採用理由は、前稿までに概ね語り尽くした。 残るは、後半の『ホネ五郎』の方だ。 と言っても、こっちの方は至って簡単である。 昔から、笑いを呼ぶキ…

イカリ肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.3

前稿で予告したので、今日は、表題のサワリについて、その続編をおっ広げる。 『イカリ肩ホネ五郎』とは?タイトルとしてかなり奇妙きてれつだ。 筆者はこう思った。 古希を過ぎた老爺の入院後日談なんぞ、誰が読むものか?と。 まあ通常の読者から回避され…

北上川夜窓抄 その27<実方と歌枕b> 作:左馬遼 

前稿で予告してから、続稿の約束を果さないまま、もう間もなく2ヵ月が過ぎようとしている。 ほぼ1千年も前の時・空間について、知らない事・迷う事・勘違いがあって。調べ事や記憶の修正に、思わぬ時間がかかってしまった。 その間、計画的に図書館通いをし…

イカリ肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.2

先月の初稿に引続き、第2稿である。 初稿リリースからはや1ヵ月が経過した。 執筆の時間が思ったほど採れない。古希を過ぎ・世捨て老爺にも浮き世の義理は負ぶさってくるものらしい・・・とほほ 憂き世と書いた方が、まだ核心に迫る感がする。 さて、今日は…

北上川夜窓抄 その26<実方と歌枕a> 作:左馬遼 

その昔、もう40年も前の事だが。勤務先の都合で、仙台に転勤して、4〜5年の間滞在した。 仕事の事で特に思い出す事はないが、週末暮らしは実りある日々を過ごせた。 陸奥の土地のうちに住みマイカーを駆使して、歌枕の地や芭蕉行脚の跡地を実証しつつ、あち…

イカリ肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.1

この年、春から初夏にかけて、ある総合病院にお世話になった。 時期が来て退院を迫られ。症状の方も、当初の危機的データを脱したので、已むなく自宅に戻った。 病院退去から3ヵ月が経過したので、生還を契機とした記録を作成する事にした。 タイトルは、い…

北上川夜窓抄 その25 作:左馬遼 

この稿を書くにあたり、過去に遡ってみたら・・・・ 去年の暮れに書いた、第24稿が最新ページであった。ほぼ半年ぶりの再開である。 なぜにこれほどのブランクがあったかと言えば、吾が人生のスケジュールがそうであったと言うしか無い。全く答にならない。 …

もがみ川感走録第54  阿古耶の松

もがみ川は,最上川である。 今日は、阿古耶の松を訪ねて,山形市を語る。 阿古耶(あこや)の松とは、歌枕で知られた地名だが。現在では、千歳山の地に建つ万松寺こそが、その場所であるとされる。 そもそも阿古耶とは人名である。阿古耶姫に由来し。寺に墓…