高尾山独呟百句 No.3 by左馬遼嶺

 玄関に  妻の声聴く  沈丁花
〔駄足吠声〕
ジンチョウゲは、処によるが、概ね春分の頃に、花開く。
花が咲くと、香りが想わぬほど明瞭で、春の宵を彩ることがある。
芳香を放つ花木に、キンモクセイがある。
こちらの開花期は秋だが、吾が家ではこの2つが春と秋の横綱である。
因みに、ともに大陸中国原産らしい
閑話休題
筆者ワットは、学校を出てから定年までの38年間を1つの会社に在籍し、列島各地を転勤命令1本で走り回らされた。
そのうち、ほぼ半分の20年間が東京暮らしであった(都内だけでも延べ5回転居した)。
そのうち、家族が再会し、最も長い時間を過ごした下北沢時代8年半が憶い出深い。
標題の句は、その世田ヶ谷住まいが、単身暮らしから解放された1993年頃に作った。
冬の寒さから解き放たれた春の宵は、ゆっくりゆっくりと暮れて行く。
中国の詩人は、「春宵一刻値千金」と詠んだ。名調子なり。月並かもしれないが、並び立つものがない
さて、会社帰りの疲れた足取りを、玄関前で一息入れる。
なんと、家の中から妻の声が聞こえるではないか!
そうだ、もう単身生活は終ったのだった。
ふと、足元を見たら、沈丁花の花もまた、妻の声を聴いていた。
やがて、子供達はその家からそれぞれ羽ばたいて行き、また妻と二人だけになった。