高尾山独呟百句 No.4 by左馬遼嶺

こぞのサクラ  憶い出させる  いちえ花
〔駄足吠語〕
標題句を漢字書きするとこうなる
  去年の桜  おもいださせる  一会ばな
◎去年=こぞは、もうすっかり死語化しているかもしれないと想い。まず古語辞典を引き・更に広辞苑(電子版)に載っていることを確かめた。
そろそろ危うい、出典例が万葉集古事記であるからだ。
◎一会花は、もちろんサクラの花であり。古希を過ぎてからは、尚更に「一期一会」を心に刻んでいる。もう今年が見納めかもしれないと、毎年想う・・・・
それが何故か?桜花に限ってそう想うのだから、我ながら月並みにしてかつ背景不明である。
さて、去年の花見だが。パートナーと二人きりであった。
開花のほぼ1週間前に、主治医から臨終期にあるとの予告を受けていた妻は、一緒に見る最後の花見であると。ひそかに想いを固めていて、誘い出したのかもしれない。
そのことを、筆者は事後に知らされた。
よって当日は何も考えず。旧友たちは山陰の一画に、一堂に会してサミットパーティーとなっていることであろう。
過去数年その場に居合わせて来た俺も遂に入院する事態となっては、身動きすらままならず。来年こそは、何はともあれ必ず参加をと、心に期していたのであった。
その来年が来てみると。75日の入院から復帰し、リハビリに通う日々ながら。サクラの樹の真下に陣取り、独りで携帯コンビ二蕎麦を喰っている。
いつもであれば、パートナーの側で蕎麦なのだが、今日は独りだ。
妻は遠来の友人が来ていて、泊まりがけで金沢観光に出かけており不在である。
放り出して、家を空けられるくらいに、我が身の体調復調は順調なのだ。
我ながら今昔の感がある。
こぞの花見は、パートナーが押す車椅子に乗せられ、病院の駐車場の一画にある、僅か数本の開花木を見上げる。
当然にパジャマ姿であったし、それを気にかける心のゆとりもまた無かった。
生命は偶然に繋がることもあるらしい