北上川夜窓抄 その32<遠野まとめ=通算第4稿> 作:左馬遼 

遠野は、北上川の流域である。
遠野物語は(明治43・1910刊)、遠野の住人佐々木鏡石よりの聞書きを以て。日本民俗学を開創した巨人・柳田国男(1875〜1962)が著した。
山人外伝資料(大正2・1913刊)は、同じ著者による日本民俗学の基礎を拓いた大著だが、この2著作の注目すべき部分を筆者なりに意訳抽出してみよう。
  ◎ その昔列島に住んだ山人は、先住民だが一冊の歴史文献も残さず絶滅した。
  ◎ 国内の山村に残る無数の山神山人伝説を語って、平地人を戦慄させたい。
  ◎ 柳田国男自身の体内には、その絶えた先住民の血が含まれるであろう。
だがしかし、この”山人研究”は、間もなく民俗学の主要テーマから外れ。大正6・1917年以降その終結を見ないまま放置された。
その背景・理由を探るのが、本稿の狙いである。
まず、第一に。聞書きとあるとおり、少なくとも著作刊行時点まで、現地である遠野を訪問してないことを指摘しておこう。
彼がごく短時間でも現地視察しておれば、彼の地がアイヌ混住地域であったことに気がついたはずである。
彼の言う”先住民”が、則ちアイヌであるとすれば。厳密には絶滅していない。
かつては日本列島全域に広く分散居住していたアイヌは、則ち縄文人と見るべきだが。弥生人の列島渡来にしたがい、南・北の両端に追いやられてしまった。
そのうち北の方に逃れた蝦夷アイヌは比較的アトを辿りやすい。かつて、坂上田村麻呂と抗争した者たちの子孫は、津軽海峡の南側では、生存の痕跡を消してしまう挙に出たらしい。
それは何故か?それもまた歴史の闇であり、今後の解明を俟つしかないが。津軽海峡の北側つまり北海道には、アイヌコタンが現存しており。厳密に絶滅していない。
もう一方の端に追いやられた九州隼人(はやと)や近畿圏山岳部に根ざした国栖(くず)については、なお一層その実相把握はできそうにない。
縄文人の消長を知り究める事は、容易ではないが。必ずしも弥生人から武力討伐を受けて、衰亡に向かったとばかりは言えない。考古学的な検証が困難な事もあるが、侵入生物学なる概念を知ったからである。
縄文人弥生人は、ともに現世人の子孫ながら、日本列島に進出した時期に前後がある。同じような事が、かつてヨーロッパから中央アジアの空間域でもあった事が知られている。
ネアンデルタール人クロマニヨン人の関係である。
旧石器時代(前者の在世期は5万年〜2.5万年。一説にもっと早く前者は絶滅したとし、並行的隣人であった期間を5〜4万年とする新説もある)であるから、ともに狩猟民であったが。ごく短い間にネアンデルタール人が絶滅した原因は、必ずしも対立抗争ではなかったらしい。
侵入生物学を一般に外来植物により在来固有種が淘汰される環境問題と理解していたが、柄谷行人氏が「山人の動物学」(図書2016・6月号所収)なるタイトルで論じているとおり。ネアンデルタール人を頂点捕食者とする世界に、新たな頂点捕食者であるクロマニヨン人が侵入した事で、前者は急激に絶滅に瀕したのであった。
絶滅したにもかかわらずネアンデルタール人のDNAは、現世人の中に取込まれているとする見解が有力である。
上述したように柳田国男は、100年前の著作時点で既に、文化人類学の現代最新の成果を見透していた観がある。
ところが、食糧生産に関しては、縄文人弥生人との間に、大きな懸隔があり、ネアンデルタール人クロマニヨン人の関係と同列に考えるべきでない。
縄文人は、狩猟採集に生存の基礎を置き、自ら耕作に手を出さない。
しかも、同時代のすぐ隣人に、平和的に共存する農業民である弥生人がいた。
もちろん、縄文人の一部には、稲作を習い・農業者と通婚・同化した者もいたであろう。
農業に拠る食糧生産は、ある時期まで確実に人口増加を可能にする。
しかし、後世に実現した技術革新すなわち人類進歩とは考えたくない。
単純に個体ヴォリュウムの大小をもって、弥生人は栄え・対する縄文人は衰える存在とは考えたくない。
縄文人が大陸を通過して渡海し列島に定住した時期と大陸における農業革命の進行時期と、いずれが前・後であるかを究めてみたい気がする。
まず想定されるケースは、農業革命以前に日本列島に到達し、終始非農耕の生活を選択したまま今日に至ったとする見解である。
次なるケースは、大陸を通過する過程で農業革命は進行しており、それを横目にみながら、あえて非農耕の生活を選択した。狩猟採集の生き方に確信をもって列島に到達・定着したであろうと考える立場である。
この2つにおいて、果してどれだけの差異があるか?
柳田は、明言してないが、執筆段階でそこまで見透していたかもしれない。
クロマニヨン人の直接の子孫に当る現世人は、地球全体にはびこり。今世紀末には個体総数が100億人を超えるであろうと予想されている。
人類は既に地球の持つ食糧生産能力を遥かに凌駕するほどの人口を抱えて、飢餓の問題は眼前の危機である。
まさに縄文人であるアイヌの祖先は、そこまで遠く深く考察したうえで、農業革命の進行を横目にみつつ。種籾に手を出さずに通り過ぎたかもしれない。
この縄文祖先の”大いなる選択を”考えさせる、これまたビッグスケールのプレゼンテーションがある。松井孝典氏(1946〜 比較惑星学)の著作「レンタルの思想」である。
在りし日の地球環境を生物圏とすれば、彼の説では人類個体総数の生息上限数は500万を超えないらしい。
人間圏なる新語は、松井氏の造語だが。農業革命に突入したことで、人間圏での人口爆増が生物圏の環境を根底から破壊する、終末期=20〜21世紀を招いてしまっている。
量的拡大を志向する単線思考的パラダイムから、脱却する日は果して来るだろうか?
非農耕の道を歩み続ける”縄文の深遠広大なる叡智”に想いを致す昨今である。