いかり肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.6

行きは良いよい、還りは怖い。
吾が生涯最初の沖縄行は、そんな思い出とともにある。
酸素ボトルを常時携行する妙なタコオヤジが飛行機で来て、那覇の街に居る。
そんなイメージを多くのウチナンチュに与えたのかもしれない。
実を言うと、沖縄の海は,サンゴの群棲で知られる、美ら海<チュラウミ>だ。
海中探訪のシュノーケル散歩に酸素は付物だ。しかし、それは海中。せいぜいベースとなる船の中までのことだ。
街の中まで、酸素ボトルを担ぎ出すとは、酔狂な”タコオヤジ”に違いなかろう。
そこで、航空会社の受付での放言=機内で酸素を吸いたいか?=が出て来たのであろう。
今のところ、フツウの沖縄市民とコンタクトしてないのだから、そんな想い出に留まるのも止むを得ない。
 ◎ 医療用酸素は、障碍者の延命装置
 ◎ アクアラングは、水中探検の道具
 ◎ 宇宙船は、コズモノートの生活装置
地上・海中・宇宙とそれぞれに、使われる場面は異なり、そこにヒトが居る理由も微妙に異なる。
後二者は、極めて積極的で、一見有意義な匂いが強い。
しかし、前者は余計者の余生みたいで、神奈川県辺りでは眠っている間にポカンと殴られて、速やかにあの世に送られそうである。
だがしかし、世情に言う。健康は失われて始めてその有難さに気がつく
そのとおり。裸のサルが健康で日々を過ごすには、クウ・ネル・コクだけでは足りない。
殆どのヒトが忘れている。そうだ、それが「空気の存在」である。
宇宙飛行から宇宙滞在を通じて、裸のサルが生き続けるために必要な要素は、先ず酸素・次いでクウ・ネル・コクへの備えである。
そもそも、宇宙に飛び出そうなどと、不埒なことを考え。しかも実際に行動に移したのは、”裸のサル”だけである。
宇宙開発なんぞ。その言葉に見合う見返りがあるのか疑わしい?
それが一見有意義な匂いとした背景である。
海中散歩は、レジャーだから有意義に疑いはない。
だがしかし、宇宙滞在は後述のとおり極めて疑わしい。
その筋は、持ち上げて、先端技術・未踏研究などと、美辞麗句を並べる。
いずれも予算を獲得し・浪費するための軍事財政用語なのだが、人命を失いかねないリスクを冒して。あえてアストロノートを送り込むだけの、必然性はない。
時の首相と電話会談するくらいの政治ショウ・パーフォーマンス効果しかない。
それすらもう月並みかつ飽き飽きだ。
宇宙船内でこなす科学実験は、地上からのリモートコントロールまたは特定目的のロボットをもって十分に代用可能である。
人類の自動制御は、もうそこまで到達しており。日々刻々に、大量の失業者を産み出してさえいる。
とまあ、裸のサル爺ぃは、自分の寝ションベン垂れ流しを棚に上げて、財政の無駄使いをなじっているのだが・・・・
今日の糞尿譚は、これくらいにしておこう