いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.9

寝惚け爺ぃの想い出噺は、つまるところ”先祖還り”譚に落ちて行く。
ここでは糞尿が主たるテーマである。
何故なら先祖に近づくと言う事は、幼児化であり・赤児に戻る事だから・・・
数週間ベッドから離れる事を禁じられた。その期間を通じて、オシメをしていた。
オシメの尿はまだ良い。課題は大の方である。
まことに恥ずかしながら、日に三度も小間物屋を開業した。
残念なことに、自分では何も出来ず。アト処理は、すべてナースの仕事。
正確にホンネを言うと、当時は『恥』の観念もほぼ無かった。
本当の”先祖還り”状態にある恍惚老爺ぃであった。
尿と異なり大の方は、尻の廻りを念入りに拭いてもらい・新しいオムツを纏ってエンドとなる。
赤ちゃんが恥ずかしがらないように、ワットもまた平然と尻を拭いてもらった。
車寅次郎曰く・・・尻の廻りは糞だらけ・・・であったに違いない。
個室に独りで居たから、まだ良かったが。皮肉な事に、3度の食事時間に排便した。
これが大部屋だったら大変だったと想う。同部屋患者の食欲を減退させる事態だから、気まずいムードを醸した事であろう。
当時は悪臭など全く気にならなかった。それこそが”先祖還り”状態の神髄でもあった。
もともと、消化器系もまた不随意系であろうから、コントロールしたくともアウトプットの方は特に自由にならない。大・小ともに、最悪期はまったく予告なしに催し・全く我慢せず排出した。
匂いの記憶があまり強くないのは、ナース・コントロールの下にあったせいかもしれない。
詳しい説明は無くとも、匂い消しのような飲み薬を一服盛られていたかもしれない。
病棟でのナース団の支配力は圧倒的であり、患者サマは馬鹿殿として祭り上げられるだけで、抗う事は難しいモノがあった。
シモの世話をしてもらう事は、そのような従属状態に慣らされることでもあった。
陽のあるうちに3度も排便する事は、まさに優等生患者としての資格第1章をクリアーしたことであった。
患者学を優等で卒業したかもしれないのだ。
退院してから1年も経つ昨今は、自宅でほぼ就寝間近になって、やっと排便するか否かの危ない橋を渡っている。
このヨクソ=夜間排便は、少年期からのクセと言えないこともない。
昔から用便する事自体が苦痛であった。悪臭の中に身を置く辛さ、そこは概ね狭くかつ真っ暗であった。
田舎、つまり農村社会の住宅は、住居棟と便所棟とは数メートル以上離れて建っていた。
それは、糞尿が肥料原料として貴重な有価物であったからだ。
ワットも小学校の高学年になると、ダラ運搬を命じられたものだ。
便壺から汲み出して、家付き畑の隅にある野壺に移し替える。それが最も悪臭に悩まされる最悪のダラ運搬であった。
それは一時保管用野壺で、一定期間経過して悪臭が消える頃。家から遠く離れた大耕作地の中の”ノダメ”に移されて、そこで最終保管された。
夜中に便所に行く事はとても怖かった。少し離れた森の奥から、正体不明のトリか獣の鳴き声が聞こえて来た。夜の闇は凄まじく恐ろしかった。
だから終るまで厠の外にオフクロさんを立たせていた。
北国の寒い秋や冬なぞ、人の親になることの大変さを想うのみである。今憶い出すと、ヨクソは念の入った親不孝であった。
今は亡くなった母が、昼に用便せよと、よく教訓を垂れ。「夜糞ハァーハァー昼ひって夜ひるな・・・・」などの呪文めいたものを唱えていた。
さて、3週間ほど経過して、ベッドを離れてよいとの許可が出た。
室内トイレまでの僅か2〜3mの距離を転ばないで歩くための訓練を励み、誰の手も借りずに、便座に座り、用を足したアト、ボタンを押して尻を洗った時は感激した。名状し難い感動を覚えた事を今でも憶い出す。
個室の中と云えども短い距離の移動中に躓いて、路上小間もの店を開陳するのは、事件扱い・大失態に該当する。
ナース泣かせの劣等賞叙勲ものだ。
映画ばあちゃんに。温水洗浄付き便座トイレから出て来て、ばあさんがため息をつくシーンがあった。
まさに名演技であると想った。体感的絶賛である。
温水洗浄付き便座は、イグ・ノーベル賞ものであると想う。今や必需品である。
今日下水道が完備し、温水洗浄付き便座が備わり、トイレは完全に別棟を離れて居住棟の中に組込まれる存在となった。
実に良い時代が到来したと想う。
この匂い?豊かなバカ話は、そろそろ終わりである。
読まされる方の苦労に想いを致さないわけではない。
ワットは、戦後生まれだが、就学区分の上では、最後の戦中派に含まれる。
同期・同級に武・猛・忠のファーストネームを持つ者は少ない。3年ほど上級になるとゴマンと居る。
彼等は生まれた時代の理想像を一身に担ってネーミングされたものであろう。
彼等が書く入院レポートはおそらく題して「闘病記」とか・「病魔に打克ってみごと凱旋す」など。きっと勇ましいものであろう。
その点、実に軟弱で低劣な糞尿譚で申し訳ない限りである