いかり肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.4

いささか危なげなタイトルである「いかり肩ホネ五郎の病床ネボケ話」だが、
前半に当る『いかり肩』の標題採用理由は、前稿までに概ね語り尽くした。
残るは、後半の『ホネ五郎』の方だ。
と言っても、こっちの方は至って簡単である。
昔から、笑いを呼ぶキャラクターのファースト・ネームとして、〇〇五郎はエース級なのである。
さっと頭に浮かぶ面影は、あのクレージーキャッツのリーダー=ハナ肇の、あの”アホづら”である。
アッと驚く「ため五郎」は、じつに良くできたキャラクターで、かなりの部分において、実像でもあったようだ。
現代はさておき。古い時代の五郎は第5番目の男児である。
仮にその中間にポロポロと女児が混じるとすれば、そのアタマ数は、2桁に達するばかりである。
その昔、健康長寿と子孫繁栄は、庶民の基本的幸福であり。最も初歩的な願望のうちであった。
食べるのが大変だった時代、貧乏者の子だくさんは一方の課題だが。
その昔ヒトと家畜だけに労役を果す農耕社会で。人手とくに男の手数は、現代の機械に代る基準労働力であった。
人間社会は、家族計画こそ、通史的に重視さるべきテーマではないだろうか?
かく言い・かく考える筆者は、間違いなく第5子である。
危うく”トメ五郎”とか”留吉“なんぞと、呼ばれたかもしれない
吾が小学校時代には、この他に。”捨五郎”とか ”余五郎”とか、差別さるべき存在の下で、生まれ育った事情を物語るファースト・ネームを生涯抱えて生き続けるマイノリティーが居たものだ。
釈迦に説法は不要だが、老爺心の駄足で、踏込もう。
留〔とめ〕は、出産打ち止めの〔トメ〕だが、更にその下に弟が居て、大笑いとなる。多産系と言えば、その通りだが、「ため五郎」の発音に似通うものがある。
余〔発音はヨでも。字の意味する処はアマリ者〕も、表意文字を使うこの世の中だから。当の本人の生きにくさが、手に取るようでもある。
閑話休題
憲法施行70年になる。
戦後間もなく。旧来の「家制度」を廃棄して・『個人を基準単位とする』ことにしたのだが、
旧習たる家制度の壁は、依然として強固だ。一向に衰えを見せないしぶとさは嘆かわしいものがある。
この頑迷固陋のシマグニの風土に基本的価値基準として儒教がある。
この基幹思潮だが。古くかつ長い間。その所以が忘れられた今日でも、未だ尚護り続けられている。
筆者が今住む地域は、この国でも有数の保守土壌だ。
筆者が、働きに出た約50年前の想いで話を語る。
学生寮で朝から寝ていたら、市外電話で呼び出された。
当時は電話の普及もまだまだだったし・その市外電話が交換嬢経由で申込して、忘れた頃に繋がる時代だったから、おおいなる驚きを未だに覚えている。
200kmも離れて住む長兄からの問い合せだった。
母から依頼されて、初任勤務予定地の指定下宿にフトンを送るが、寄留先大家の主人名に誤りがある。
確認した上で、折返し返事をせよとの厳命である。
初任勤務地に再び舞い戻って現在住んでいるが、学生寮のあった土地から、更に400kmも南に下っている。
大家のファースト・ネームは、就職先の庶務係に紹介して。速やかに返事をもらった。
結果として、誤りはなかった。
そのファースト・ネームは「外志夫(としお)」と言った。
後日、帰省した際に。長兄の見解を拝聴した。
人たる者に、『外』なる不穏当なる用字を当てることはない。とのご高説であった。
尤もだと想ったが、事実もまた奇なりとのみ答えた。
その約2週間後、新入職員は着任した。
やんわりと、職員名簿を覗き見してみた。
いたいた。女子だが、「外茂子(ともこ)」
周囲の女子職員に、用心しつつ家族構成やら家族名の由来などを、遠回しに尋ねてみた。
この地ではごく一般的な命名用字である事が判った。
男女を問わず、家を継がないもの=則ち長男以外の子にして。しかも丑年に産まれると・・・
そのような”実に有難い?差別的な用字をもって命名されるのが通例であることが知れた。
ウシのようにダラダラと実家に居座ることがないようにと。両親・親戚こぞって、そのような命名を選ぶのだと言う。
ハナから当然と想って、平然としているマジョリティー
当方は、いわゆる余所者<よそもの>=崖っぷちのマイノリティー
筆者はダンマリを決込んだまま、今日に至る。
その辺の事情は、更なる帰省の機会に長兄に対して、淡々と伝えた。
儒教世界と言えば、まず江戸時代。平穏安全なるボケの時季でもあった。
嫡男以外は、部屋住み者・穀潰し・タネオジ・出戻り・行かず後家などとゾンザイに扱われ。自らの存在を消しつつ・世の片隅にひっそり生きた。
このような宿命の下に生まれ育った者が、突然に主役に躍り出る希な事態もまた存在した。
その代表たるハプニングを2名のみ掲げる。
将軍吉宗と彦根藩主の大老井伊直弼である。
ヒョウタンからコマが躍り出るような人生の大転換だった。と言えよう
広い世間には、腑に落ちないことが多々あるものらしい