高尾山独呟百句 No.7 by左馬遼嶺

世の中の  花々終り  爪が伸び
〔駄足吠語〕
花綵(はなづな)列島固有の気象とも言うべき、四季の推移は、近年薄れつつある。
夏と冬・もしくは乾期と雨期の間の、何とも表現し難い「花の季節」が今年は楽しめたが・・・・
果して来年はどうだろうか?そんな事が危惧される年齢回りになった。
一句の意味も、まさにそんなどうでも良い事が主題である。
サクラから始まりつい先日はツツジを求めて、少し遠出をした。
遠出と言っても、原則親の遺産である”足頼り”の散歩が原点だから、たかが知れてる。
あそうそう、そう言えば。先日、ほぼ半世紀振りにチュウリップを観に隣の県まで出張った。
イカーを使って、花見をした。
マクロ経済的に観光の片棒を担いだ訳だが、ミクロベースでは、やはりどうでもよい=些細な事である。
さりながら、開花宣言が役所の重要な年中行事となる平和な昨今と大差が無いとも言える。
閑話休題
”苦髪楽爪”なる決まり文句を踏まえている。
あっちの花、やれこっちの花と、花の下をうろついて、「春のひととき」は過ぎようとしている。
そろそろ暑くなりはじめたら、散歩でもあるまい。
ふと気がつくと、爪が伸びていて、着実に春の幸せに浸っていた自分を憶い出す。
一転。懐具合が窮屈に感じはじめる頃だ、おや髪が伸びている。
爪も髪も、どちらも伸び過ぎは鬱陶しい。
だがしかし、資金繰りの方は、首から上に対象域が集中するのは、何故だろうか?
首が回らないとか・息が詰まりそう・歯と舌がサボり過ぎ・・・お足が乏しいのだ
その点、手仕事が忙しく=立ち働いていると、知らず知らずに爪はすり減っている。
爪が伸びてない時は、やがて何がしかの見返りとして、生活の糧が得られる。
世の中の仕組は、そのように動いていた時代が長かった