高尾山独吟百句 No.16 by左馬遼嶺

ゴミ出しも  少しラクなり  雨水ころ
〔駄足独語〕
ゴミ出しは、ゴキブリ亭主ならぬはみ出し男がこの数年超も、否、気が遠くなるほど長いこと担当している家事分担である。
持病が悪化したことをもって、70歳も過ぎてから不慮の転居となり。今の下駄履き長屋に住んでからは、共用の入口からざっと10mほどの位置に専用の一時集積場所がある。
この北陸の雨がちの土地、とにかく近いのは助かる。
雨水とは、二十四節気による。
雨水(うすい)は、暦に書いてはいないが。概ね2月18乃至19日頃で。雪が雨に変る頃の意味らしい。
立春啓蟄の中間に位置する15日間くらいと理解しているが、確信はない。
旧暦による暮らしでは、もうそこに雪融けの春が迫っている感じである。
閑話休題
亭主のゴミ出しは、TVのシーンなどでやってみせるからだろう。ほぼ、固定化した日常業務とみなされていて、抗い難いものがある。まして、ゴキブリなどと修飾語が付く我が輩では致し方ないものがある
さて、今日ただ今の時点で、冬を語るべきかどうか?実は迷っている。
過ぎた冬をなどと、書くと。冬将軍の怒りを買って、この冬何度目かの猛威がまたまた襲ってくる懸念なしとしないからだ。
過ぎようとしている冬は、例年になく大雪だった。
北陸は、京都から下って、愛発ノ関(あらち 古代3関の1だが、考古学的には所在地未確定で、敦賀付近の広大な同地名のうちに所在したであろう)が、言わば南の端であり。敦賀の港<福井県>に至る。
これとは別ルートに、木ノ芽峠越えなる山がちの街道があり。これを越えれば、まさしく『越』=北陸となろう。
以上が南の端、ついでに反対の端も触れておこう。
こっちは、松尾芭蕉の「奥の細道」にも出てくる親不知・小不知の懸崖である。
よって、この間に挟まれる福井県の一部と石川県(能登半島を含む特異な地形)と富山県が北陸となる。
古代の『越(こし)』は、もっと広い空間概念であったろう。
この地域の気候は、言わば盆から先は雨がちとなり、その雨が雪に変り。春まで悪天候に閉ざされる。
現実にこの冬も連続66時間国道上に立ち往生した長距離トラックがメディア報道された。
近年にない”Oh雪”だった。この数年のゲリラ豪雨の降雪ヴァージョンまたはクラスター爆弾型豪雪と呼ぶタイプかもしれない。
言わば、北国はどこも雪が降るゾーンだが、豪雪なる降りかたは、北陸固有のものかもしれないと思っている。
かつて、38<サンパチ>とか56<ゴウロク>などの昭和年号を冠した豪雪の記憶が北陸人にはあるらしい。
さてはて、そのような呼び方が、北陸以外の降雪地帯にあるだろうか?
寡聞にして覚えがない。
忘れた頃にやって来るから、備えがない。
従って、次に向けての備えも考えないし・対策もまた講じない。
そのような地域の住民気質が、豪雪の土壌でもあると言えないこともない。
宗教に対して熱心な風土と重なる、基調的精神風土であるかもしれない。
さて、この冬の豪雪は、どう呼ばれるだろうか?
年号は平成になっている。西暦では2018だ。
イチハチ豪雪とでも記憶されるのだろうか?
数字の8は、横に倒すと無限大の記号『∞』である。
・・・これからも果てしなく降るとは考えたくないぞ・・・
実は変ったのは、年号だけではない。
北陸新幹線が開通してから最初の豪雪だった。
北陸新幹線は、東京〜金沢間であるが、雪の影響を克服して、ほぼ平常運転を維持した。
新幹線以外の在来線=特に京都・大阪・名古屋方面への在来線の特急は、相当長期間継続して運休した。
航空便もまたほぼ全航路運航しなかった。
豪雪にも関わらず、外部との連絡が途絶えなかった。
いわゆる新幹線開通効果だ。
しかし、それを利用してやって来る観光客に対する備えの方は、残念ながら旧来のまま”豪雪下の居眠り状態”であった。
スーパー&コンビニも数日間に亘って片肺の品揃え状態であった。加えて観光客への気配りなど出来る状況ではなかったというべきであろう。
ホクリクの夜明けはこれからとなろうか?
否・豪雪の朝はもう来ないことを祈ろう