もがみ川感走録第36  出羽路の芭蕉No.1 

もがみ川は、最上川である。
今日から出羽路の芭蕉と名付けて、芭蕉最上川の出逢いについて、想いを留めることとする。
拠るべきものは、当初かの高名な「おくのほそ道」しかないと思っていたが。文献資料は、驚ろくほど多種かつ多様に存在することに最近気がついた。
ここで言う多種多様とは。
平安時代から江戸時代まで、貴族だけでなく・北前船の船頭に至るまで、広く国民規模で各層に渡って、しかも身分制度に関わりなく・社会横断的な人的交流の構成をもって,書かれた文字資料が残っていることを言う。
それで判る事は。日本詩歌史の情熱は、驚くほどのエネルギーを保ち・久しく続いている事実である。
では、そのエネルギーは何処から来るか?だが、日本詩歌史の結論は、遠く上古の時代にその淵源を求めるようだ。
始まりの列島社会は、無文字社会であった。
無文字社会でも恋する気持を伝えたいし、先祖の栄光を次世代に伝えたい、と思う。
その手段が、「うた」として口から発せられた。
「うた」なる文芸は、口と耳による=つまり音声伝達空間の共有にこそ存在する。そのことを筆者は、バリ訪問の際に、現地でクチャ・ダンスを目撃して、少し実感した。
そして後に、大陸中国から漢字=文字を導入した。文字の導入に拠って、変質したものもあったらしい。
文字へのアクセスは、「うたわない和歌=贈答歌なるジャンル」を広げている。ここではそれを変質と呼びたい。
さて、詩歌の一類型を語ろう。
複数の人が集まって、纏まって詩作する。言わば、連歌連句の同好会だが。そのような社会横断的な人的交流が、既に全国規模で広まっていた。
芭蕉が草深い東北地方をウロウロ散策している時代は、今からほぼ300年前のことだが。
その詩作同好会に参加していた、末端庶民の記録類が、今でも時々発見されると言う。
発見史料がもたらす新知見が、時々に古い共有知識を覆す。
なんと、考古学の新発掘のように新陳代謝の激しい世界であろう事か・・・
詩歌の世界が、それほどに沸騰している事を、つい先日まで全く知らなかった。
「おくのほそ道」、作者たる俳聖=芭蕉。これは国民共通の基本的常識である。
中学・高校の国語教科書に必ず出てきた、と記憶する。
世に出て、再確認したことがある。
ドナルド・キーンが、朝日新聞に全185回(1983・7・4〜1984・4・13)に亘って連載した「百代の過客 副題=日記にみる日本人」のことだ。
外国に生まれ育ったキーン氏から、網羅的に日記文学を踏まえたうえで、日本人の国民性乃至共有する価値観のようなものを,突きつけられると、何とも反論できない気がした。
筆者なりの理解と要約語をもって、その読後感を語れば。我々の民族個性は、
    旧例墨守  新制拒否  大勢従羊  自己保身
の4文字4語に集約される。そして、仲間うちの「内なる平和」が保たれてきた。
余談だが、過度に「内なる平和」に拘り過ぎると、肝心重大事の歯止めが利かなくなって、歴史的な大敗北の憂き目に遭う。
つまり,より決定的な悲劇に遭遇するわけだが。
それはまた、決して過去の事実とはい言い切れず、解釈改憲などと安易な姑息手法に根負けしていると『次なる暗転=大悲劇に』落ち込む事になりかねない気がする。
さて、だいぶ回り道したが。テーマの「おくのほそ道」にも、キーン氏指摘のとおり。
中国やら日本の古典・漢詩文などの引用が、やたらに散りばめられ。文字ツラをただ読むだけでは、解釈どころか理解すらも平板なものに終ると言う・・・何とも厄介なものである。
現代日本人が、少し古い日本語で書かれた紀行文学を、簡単に読み込めない。
なんとも、複雑不可解な文化伝統を,我々は後生大事に抱え続けている。
それも伝統だから一朝一夕には革まらない。
何度聞いてもよく判らないのが、1945.8月15日の玉音放送だ。
戦後生まれだから、体験はないが。
あの難しい漢語・文語調のラジオ放送を聞いて、果してどれだけの臣民が”戦争敗北宣言である”と受止めた事だろうか?
あのような持って回った言い方から、真意を汲み取ると言う。実に厄介な生き方を明治以降ですらも我々は、甘受させられてきた。
「内なる平和」の伝統から脱して、修飾語の無い『平和市民』に脱皮するためには、その辺のことから、革める必要がありそうだ。
シマグニの盆栽趣味ならぬ”盆栽主義”から,脱け出すような困難さ。おそらく気が遠くなるほどの時間がかかるであろう。なんせ、現行法の口語表現による記述すら未だ実現してないのだから。
その点、文芸はよい。文学なる堅苦しい熟語から「学」の一文字を抜き取り、「芸」に換えただけだが。平易かつ横断的だ。「学」に内在する上昇志向や儒教的身分差を感じさせない。
芭蕉が標榜し・打破して樹立しようとした理想郷に「俳句の世界」があると考えよう。
俳句なる言葉は、明治になって正岡子規高浜虚子らが提唱した新語らしい。
それが、今では「ハイク」や”HAIKU”と呼ばれて、世界規模の広まりをもたらしている。
17音から成る詩文。それは世界最小の詩歌だが、「ハイク」では17音を17文字に置換することで、世界文芸として普及しようとしている。
文芸の世界性とは、どんな要素と背景を持つべきか?
洋として判らないが、独学で古典日本語を修め、源氏物語を英語に翻訳した人物がいる。
アーサー・D・ウェイリー<1889〜1966 大英博物館学芸員>である。
彼は、1921〜33年の間に、6回に分けて翻訳・源氏物語を英国で出版した。
名門ロスチィルドに連なるユダヤ系の人物だが、ラグビー校→ケンブリッジ大学と進み、発病を機に博物館学芸員に転じた。
東洋学者<古典日本語・中国語>として叙勲されたが、海外留学の事実無く・独学で履修したとのこと。
奇人とも言われる天才肌だが、シャンポリオン同様に言語類型をまたいで業績を成す人物は今後も現れるのであろうか?
時の日本政府はウェイリーに対し日本を訪問するよう招待したが、彼は拒絶したと言う。
現代日本語の方は、からっきし駄目であったらしい