もがみ川感走録第51  もちの話4

モチとウルチの違いについて、前稿に引続き紹介したい
餅は、糯米から作られる。よって、モチゴメ栽培の無い世界にモチ食品は無い
糯米の不思議は、アジアの特定の狭い地域にしか見つからない事である。
その不思議の原因を。現代の農業は、概ね科学的に解明できているらしい。
人類が稲を栽培種に選んだのは,その貯蔵澱粉を食糧にするためだが。でんぷんには、モチ性とウルチ性とがある。
モチはウルチに対して劣性で・人為的な突然変異によって生じたと解されている。
劣性とは、理解困難な専門用語だが。筆者の独断と偏見による誤解では、自然界に自生する野生種や栽培種でもウルチ米は、モチ性澱粉保有しない。と言うことらしい。
その意味。つまり自然界には、モチゴメを産み出す種は存在しない。すべての糯米の種子は、人間だけが保持している。その意義を知って、その意外性に驚ろいた。
ただ、人類が糯米種子を入手した経緯は、未だ解明できていない。
糯米栽培地域は狭いが・既に相当長い期間栽培継続されて来ており。その始まりの時期や地域を絞り込むのは、困難であるとする見解が有力らしい。
モチ性の存在は、稲以外からも発見されており。その突然変異によるモチ性も,人為的に選択される事で、維持されてきたとされる。餅を食べたいと考える農業慣行・育苗選好が、モチを育て・広めたと言える。
では、モチとウルチの違いは、何から来るのか?
でんぷん=高分子同族体としての化学構造の差によるらしい。
モチは、アミロベクチン=分枝(枝が束状)構造を持ち,水中で加熱すると容易に粘る糊状に変る。
対するウルチは、アミロース=より単純な直鎖構造であるらしい。
ところで、韓国に。トッポギなるウルチ米から作る餅がある。
モチ米も韓国にはあり。むしろ韓方薬(漢方、日本薬局方)材料とされる。
モチとウルチの化学構造差だが。筆者はズブの素人だから、これ以上は踏込めない。
澱粉ヨード反応の違いだが、、あまりに義務教育知識なので割愛しておこう。
閑話休題
東北は、日本列島における餅文化の中核地域である。
その豊かさは、いつまでも続いて欲しいと思う。
しかし、東北は,実は豊かなのである。
筆者がこう断言すると、おおかたの常識人は,引いてしまう。
ここで急に、『3丁目の夕日なる』映画ドラマを思い出す。
鈴木モータースに何故か?自転車の技術を持つ主役の「ムツコ」が雇われて働く事になる。
「ムツコ」は、コメに見放された奥・東北の産まれ育ちで、東京に集団就職してきたと言う設定だ。
「ムツコ」は俗に言う「口減らし」=奥・東北で普通の家庭が行う棄民作戦=の対象らしい。
東京と奥・東北、この2つの較差空間を結ぶ”集団就職の少女”
そのようなドラマ仕立てが,1つの結論を導き出す。
「東北は経済的に後進地域であり・列島の経済躍進に水指すような、足を引っ張る存在だ」とするもの。
これこそ、現代人=エリートの常識であろう
常識とは,学歴社会でこそ必要なもので。
  1、答は予め決っていて,
  2、正答は1つしか無い
とまあ、多くのエリートは,長い学業人生の間に、刷り込まれ。固まってしまっている。
その結果ゆえに、日本人エリートは、国の内外で,多く、役に立たないらしい。
筆者が吠えるとすれば、上述の1は、次のように変る。
  修正1、「答は,予め決ってはいない。まして書物の中
       には書いてない。現場にこそある」
上述の2もまた、下記のとおりだ。
  修正2、「正答は,無数にある。現場に身を置いて,
       最低30くらいは捻り出せ。1つづつに自ら点数を付けろ、
       ランク付けしろ。そうして絞りこんでも、実地にやって
       みるとダメかもしれない。正答に達する事は,それほど難しい。
       素人は上手に組合せる程度かも・・・」
さて、筆者が捻り出した修正答。効率無考慮だから、ハナから不合格かな?
この国では、固執して浮き上がる。それを最も畏れる「気配り症候群・病」が蔓延中だが・・
しかし人類史を俯瞰した場合。効率を価値の上位に置いた時代は,殆ど無いし。あったとしてもとても短い。東北には、現代ですら無い価値観であろう。
戦争・テロなど,破壊そのもの。効率の真逆にあるもの=それが破壊活動だ。
ハナから脱線した。
東北の豊かさについて。歴史人口学の成果と現代エリートとの常識もまた食い違う。
歴史人口学の成果によれば、東北ワールドが最も列島の中核を成す・最大人口集住は,縄文時代であったと言う。
三内丸山遺蹟が物語る世界、それは、ある意味。時間軸を超越したような新発見であり・既成観念に対する転覆・修正であった。
東北は、三内丸山から今日まで、いつの時代も豊かさの中にあり続けている。
対する現代エリートは、自らが内包する”究極の貧困”に気づいてない。
再論すると現代エリートが貧困なのは、アメリカ型サクセス・ストーリーの受売りでしかないからだ。その点で、実に底が浅い・非常識ですらある。
サクセス・ストーリーの要約は,ある意味単純だ。時間単価の高い仕事が良い仕事つまり効率も良いとする価値観だ。
誤解を恐れずに極言すると、現代少なくとも。戦後焼け跡の主導原理は。則ち、ただの”カネカネ”至上主義でしかない。
その意味で、アメリカ型原理と最も無縁の東北文化圏は、全く手垢にまみれていない。
しかし、それでも、東北が経済的に苦境にある事実は消えない。それは、この地域が未だに幕藩態勢の遺制を引きずっている事に起因すると。筆者は考える。
ここで言う幕藩態勢とは、コメを基幹財に据えた一国経済であり。戦前も戦後も土木技術は相当進化したが、現代日本の農政思想は,江戸時代の部分手直しで終わっており、依然として的外れのままでしかないからだ。
にもかかわらず。コメ生産で盛行する王国は,変らず。庄内平野最上川流域である。
日本海側は当面、幕藩態勢の延長農政で,問題ないのではないだろうか?
その点で,問題山積は、岩手・青森だろうか?
コメづくりが北海道まで及ぶ現代でも、この地域と関東平野とは、コメ無縁地域である。
冒頭で述べた「ムツコ」の故郷=奥・東北は,この2県のいずれであったろうか?
「ムツコ」の故郷は、せっせと働いて。カネを稼ぎ,その得た金銭で、コメを買う。その廻りくどいシステムにこそ,課題があるような気がする。
コメを喰う事に,拘るべきでない。米食に傾斜した価値観を見直し・脱却すべきである。
筆者は,今住む北陸に来てから、白山・山麓焼畑農業を見学した事がある。
この平地が乏しく・灌漑用水と無縁な、山間の傾斜面利用の食糧生産には、陸稲も含めて,稲は無かったように思う。
ヒエとアワがあった。これ等は、柳田国男の著作などによれば、寒冷地でも成立しやすい、自給自足型の基幹食糧に相応しい栽培種であるような気がする。
その他にも工夫はある。
餅の中にさまざまな混ぜ物を入れて、食べ繋ごうとするのは、いつの時代も庶民の知恵だった。
これからの季節は、柏餅だが。その草餅こそが、その混ぜ物である。別名”カテのモチ”とも言う。
カテメシ・カテモチ。この創意工夫による食生活の新未来に活路を見出すべきなのではないだろうか?