もがみ川感走録第50  もちの話3

東北は、もち文化の豊かな夢のような世界である。
しかし、その餅文化も,近未来を想定すると。先細りの危惧なしとしない。
その懸念は、筆者個人の感想とは言い難い。
筆者は、この「もち」の稿を記述するに先立ち、法政大学出版局から刊行された”ものと人間の文化シリーズ・第89分冊・『もち(糯・餅)』をもって、にわか知識を貯えた。
序章を含めて全12章から成り、各2分の1づつを分担執筆した共著。
因みに、著者は下記のとおり。
京大名誉教授の渡部忠世(わたべただよ 1924〜 生物学・農学)が第5章まで。
深澤小百合(ふかざわさゆり 生年不肖 食物史・民俗食物)が第6〜11章を担当。
この著書の後半=民俗学分野は、日本列島の食文化についての知見でもあり。柳田国男の先行研究報告と一部重なる。
前半の農業記述になると、筆者にとってほぼ新知識、驚くような新世界の続出であった。
以下は私見だが。本文中にも中尾佐助・佐々木高明など京大系の高名な学者が登場する。この学統の時空軸スケールと研究の堅実さの両立にはいつも驚かされる。
人類通史と地球規模の視野を貫いていながら・眼前の実地観察を着実にこなす事がしっかり身についている。
上記の著作によって、筆者が確認したかった事。それは、実に単純だが。
モチとウルチの違いとは何なのか?と言う,極めて初歩的な疑問だった。
しかし、答は想定外に深くかつ広かった。
餅は,モチゴメ(=糯米)から作る。これが、筆者なりに得た答であった。
さて、本来の話題=”もちづくり”である。
餅と言えば、東北では現代でも家庭料理の代表的な存在だが。家事の合理化が相当進化した現在でも。餅の調理は,未だに主婦の労力に頼ることが大きい。
しかるに、現今の日本経済が目ざすものは、もちづくりには逆風のようである。
少子・高齢化を受けてあらゆる階層の女子を家庭の外において活動する労働者に置換えようと,行政が躍起となっているようだ。
家庭からの主婦の追放は、則ち餅文化の存続にとって、危険信号である。
現代若者層が,既に答を出している。餅は菓子のうち。金を出して買うもの。
列島挙げてそうなる事態が、すぐそこに迫っている。
まだある。現今の企業活動分野は,従来の家政分野を著しく浸食している。昨今の食品加工業者の成長・拡大は著るしい。
スーパーマーケットのお惣菜コーナーは、近ごろ拡大の一途である。その分,家庭の主婦の手作り料理は,急速に企業部門の売上と置き換わっている。おふくろの味が,金で買える。そんな事が、文化的に可能な事かどうか?は、さておき。
事情の知らない外観事象だけをもって、見れば。主婦の有難味は、後退し始めているようである。
若い人が必要な時に買って来る餅は、菓子のうちだから。餅に内在した格別の背景があることを知らないし、そもそもそんなことを考えない。普通当たり前の消費行動でしかない。
ここで言う格別の背景とは、東北人の抱く”餅観念”には、かすかに残っているかもしれない。
餅は、いわゆるハレの食べ物であり。ケの食べ物ではない。
ハレとは、晴着を着て、家族一同が打ち揃って共同飲食する祝い事、伝統的年中行事の一貫だ。
日本文化の基層にある。言わば,民族的行事であり、古い習俗を多く保存する。
これが文化人類学の普通の理解である。
古い時代の生き方は、自給自足経済であったから、欲しいものは金を出して買う=現代の交換経済、大量消費の経済社会とは大きく異なる。
その昔は,消費は常に生産と表裏一体であったし。概ね生産も消費も団体行動であった。
正月や盆の作法において、その痕跡を伺う事ができよう。
自給自足経済の下では、あらゆる食糧は家庭において調理した。家人全員分の食事を用意して・提供する主婦が、既にしてそのことを失念して久しい。
だから、民俗的背景やその持つ文化的背景の意味を、今日のモチだけに負わせるのは難しいかもしれない。
さすれば、餅が生きる食品・進行文化として珍重される東北は。文化周縁圏として、最後の拠り所になるかもしれない。
餅文化を含めて日本民族固有の文化は、TV放映されるクールジャパンのように。着目し・集約して、提供しなければならないくらい退潮著しい。
だからこそ自戒を含めて。餅は,モチゴメから作る。則ち糯米生産の無い所には餅食文化は無い。この釈迦に説法めいたことを述べたいのだ。
閑話休題
ここで耳慣れない新語たる”モチ食文化圏”を論じてみたい。
日本列島は、モチ食文化圏のうちだ。餅を作って食べる。しかし、常食はウルチ米(粳米)であって、モチを常食にしてはいない。
モチ食文化圏とモチゴメ生産農業地帯とは,上述したが当然に重なる。
モチなるものがある地域は、東アジアから東南アジアの一部であり。中核地域がラオス・タイなどの山岳地域が中心で、推定住民人口数20〜25百万人<除く・日本人>とされる。
西の端は,ミャンマーとされ、インド亜大陸の中ではアッサム地方のみが、モチ食文化圏のうちとされる。つまり、それ以外の世界に、餅食も糯米も,言語・概念として存在しない。
次に、餅の一大中心たるタイランドの話題に移る。
1993年、日本列島は、記録的なコメの不作に見舞われた事になっている。
時の日本政府は、急遽タイランドに依頼して、備蓄米を放出させ,輸入した。
だが、消費サイド日本人の評判は、「外米」と酷評して、さんざんだったらしい。
そのタイ国も、大河流域の中央平原地域は、灌漑用水の整備も進み。18世紀頃ウルチマイ(粳米)生産に切替り、外貨獲得に貢献していると言う。これが日本に貢献できた事実の背景だ。
この時、輸入対象としてアメリカ産米・大陸中国産米も検討された。結果は、タイ産米に絞り込まれた。
その背景は、明らかにされてないが。仏教国・君主制・モチ文化など、相互の文化的背景の共有が、加味されたのではないだろうか?
インディカ系の長粒種が、輸入当初は馴染まなかったとしても。既に20年以上経過している。その後の調理方法の研鑽や相互交流の深化で、列島内のコメの国際化は進展しているものと考えたい。
タイの高地山岳地帯は、中国少数民族と重なるタイ族が居住する。ここは昔ながらの古い文化を保ち続けるモチ食文化圏である。しかもモチを常食にしている。
そのタイでも、中央平原地域がうるち米生産に傾斜した事情を踏まえると、近未来は判らない。
先ほど米・中の国名が出たついでに、モチ・ウルチの話題を広汎に述べておくとしよう。
アメリカにモチゴメなる言葉は,存在しないから。一般にモチを知る人も居ないであろう。一部のコメ生産農家は例外としておこう・・・・
中国(現在の人民共和国の建国が1949年)は、改革解放後(=1978年鄧小平が提唱・指導した市場経済の導入と,その後の経済特区構想による社会主義市場経済を指す)。雲南省などに住むモチ食文化圏に属する少数民族諸族にも、ウルチ米の常食を強制していると聞く。よって、全域規模でモチ食文化は急速に減退・消滅していると言うべきだろう。
ここで短絡して記述すると、農業政策分野では、生産品種を廻る=モチ・ウルチ戦争があることに想いが至る。
モチゴメには、水稲ばかりでなく・陸稲栽培種もあるから、一概に要約する事は危険だが。モチ米の生産量は、経験的にどこもウルチ米のほぼ90%であるとされる。
その生産力の差が、既に中国一国から・タイランドの先進農業地域から、モチ米を駆逐しているのかもしれない。
その点日本は、平和である。ほとんど、平和ボケにちかい。
各県の農業試験場は、人智・英才を投入して。常に新品種を開発している。
近未来の人口増加に供えて”量”=多産の品種に力を入れていないとは言わないが、あまり聞こえてこない。
メディアから聞こえるのは、量よりも質?の追求だ。
何を以て、質が高いとするか?は、難しい課題だが。
日本人が最も好むコメは、粘っこい食感。則ちモチに近い性質のウルチ米だと言う。
言うまでもない日本は,人口減少に向かっている。粳米改良が、餅の食感に向かって研鑽努力され、多産の研究に向かわないのは、近未来にマッチした研究戦略と言えよう?
さすれば、日本のメーカーが造り出す炊飯器もまた、その方向で一直線となろう。
そうなると。空港周辺の家電店で、中国からの旅行者が日本製の炊飯器を纏め買い・爆発購入することと整合しない。そのミスマッチを何方か?ご指導戴きたいものである