泉流No.63 鳥海山

* 海かけて  まだら牛臥す  ふくら越え
〔駄足〕 我が故郷の山は、鳥海山である。
造山期の溶岩流の端が、日本海の中にまで及ぶくらい、山体は海の際に立つ独立峰である。
その溶岩が形成した鞍部地形の丘の連なりが、秋田・山形の県境である。
その昔と異なり公共輸送手段の後退が著しい昨今。帰省の足は専らマイカーであるが、この地域は未だ高速道路が無く、インフラに付きものの自然景観の悪化もまた無い。
殆ど唯一と言える海岸道路国道7号を北に向って走る。新潟と山形の県境は、ほぼ史跡「鼠ケ関(ねずがせき)」と重なるが、もうその辺りで、太陽に背を向けて寝そべる牛の後ろ姿が見える。
この巨大な臥せ牛の尾っぽは、海の中に達しているようだ。
更に北上し続けると、庄内平野の南の端で。道路はそのまま海岸縁りを進むストレートな道と、内陸に向いコメどころ庄内の美田が連なる平野のほぼ中央ルートを北上する道とに分かれる。
最初の道を選べば、最上川の河口に出来た街=酒田を通過し、アトの方の道を選べば、かつての城下町=鶴岡の近くを通過することとなる。
この平野のどこを通っても、単独峰の鳥海山が見え、そこが北すなわち向かう方向である。
ふくら=吹浦とは、庄内平野の北端にあり、鞍部地形に取掛かる野尻の町=山形県飽海郡遊佐町だが、そこの鉄道駅に立つと、すぐ眼の前に山頂が迫るばかりである。
かつて、奥の細道を編んだ松尾芭蕉も越えた”ふくら越え”は、十六羅漢から有耶無耶の関(うやむや)までの溶岩形成地帯を指すのであろうが。この丘陵地帯を通過する間は、視野が狭くなり、山容を遠望することは出来ない。
視界が回復する頃、まず左手の眼下に日本海が、そしてもう右手後方の振返る位置に鳥海山がある。
その時、山容の光景が一変していることに驚ろく。
北に向って臥せる牛の角が、はっきりと見えてくる。
360度の遠景を持つ独立峰は、?○○フジと呼ばれる。我が鳥海山は、出羽の富士である。
この山の全方向が出羽の国であった、まして景観は私的所有になじまないのだが、一方は女性的、他方が男性的と。これほど容貌を急変させる高山は珍しい。
この時、南と北とが、観る者の立つポイント。つまり体験的立ち位置だが、では西と東に立つ位置を変えたら、どうなるか?
おそらく、全くの富士山であろう。
牛の臥せ姿は、消え。左右対称の山姿が、すっと立上がっている筈だ。
西は海だから、新潟〜秋田・小樽間を繋ぐフェリーに乗船し、天候と日照に恵まれること。よって、未だ恵まれない。
東は内陸方向、横手城と払田柵(ほったのさく)とから、観たことがある。内陸は何度も通過しているが、その他では見た体験が無い。見ることは稀といえようが、確定的なことは言えない。。
ヘリコプターにでも乗るしかないのだろうか?
最後に払田柵を概説する。
秋田県大仙市の仙北平野内の田んぼの中から木柱列が発見された所謂、幻の古代城柵跡である。
当該考古成果に対応する文献上の遺跡が確定しないので、発掘地の地名をもって仮の名称としている。
古代の雄勝城とするが相当との説あるが、肯定する確証も反証もともに得られていない。”幻”かつ仮称とする由縁である。
この地もまたコメ所である。
かの有名な角館がごく近い。