閑人耄語抄No.37

  1. No.37 風あって  タヌキの嫁ゆく  三分咲き

 [自註] 朝は晴れていて、風もなく、日頃と異なり朝陽が注いだ。穏やかさを求めて散歩に出てみたが、風は強く、黄砂の疑いは消えない。
レンギョウが見事だ。しかし、内陸の高地で見た、圧倒的な存在感の記憶を凌ぐほどではない。かの地は遅く訪れる春の日々であっても、降り注ぐ太陽の強さと、その光を削がない風の中の塩気の無さと水気の乏しさがもたらすエネルギー・ボリュウム。そのパワーは、このシマグニでは珍しい愛すべき個性の一つかもしれない。
おそらく、あの太陽のクニには、キツネの嫁入りなる言葉は無いかもしれない。空気のよさとは、乾燥度が高いことを含めてのことだ。夜空の星の数と明瞭さをもたらすばかりか、その地に住む人のドライ度をも高めているかもしれない。
ここで話題の土地は、突然海を越えて、徳島の地に移る。と言っても未だ住人であった事がない。よって伝聞情報だが、彼の地はタヌキ王国であるせいか、圧倒的にキツネは見かけないらしい。そこで、ヒトバカシ族としての同類だから、役割交替か業務引継ぎよろしく、、、徳島浄瑠璃で泣かされることはあっても、化かされるヒトは皆無であるかもしれないのであるが、、、