いかり肩ホネ五郎の病床寝惚け話No.15

前稿の執筆から既に1ヵ月半以上経過してしまった。
前稿で述べた”ワットの酷い夏”は、未だ終ってない。
下駄履きアパート内のジプシー暮らしは続いている。
自室に回帰する事は、もう秋も終り、寒さ対策が必要な時季なのだから、簡単に実現しそうだが。
未だメドすら立たない。
要するに手元資金不如意もさりながら、ワットは体調面を受けてか?実行力が乏しい。
ハンモックの入手も,当分の間見込みなしである。
そもそもハンモックの必要を,あえて説明するとこうだ。
端的に言えば、固定資産税を課税されない住環境を理想と考える体質なのだ。その結果として、ハンモックに至るのである。
おぎゃあと産まれた時、無産者であった。その後もほぼ半世紀上固定資産税と無縁だ。
家を出て、定年退職の60歳まで社宅〜退職後の10年間がまたほぼ借家暮らしであった。
自前の下駄履きアパートを所有して、もう1年経つが。格別の感慨はもちろん無い。
やはり、空中にブラ下がる「ミノムシ住まい」=つまり固定財産を持たない空中プランプラン生活を究極の理想と考えている。
それに逆らって、家を持ったから。ダニに喰われ・ダニ族に成り下がってしまった。
内外空気遮断密室型の洋風家屋である下駄履きアパートの中、そこはたとえベッドの上でも地続きだから、ダニが伝って来て、我が身を齧るのであろう。
その点、ハンモックであれば、限りなく・頼りなく空中を漂うばかりの「ミノムシ」状況だから、ダニ遮断が容易であろうと考えた。
ダニ繁殖と空気遮断密室型の洋風家屋との因果関係はよく判らないが、通気型の和風家屋と比べてどうだろうか?
徒然草の著者である吉田兼好は、『家は夏向きに造るべし』と宣言しているらしいが。彼はとうにダニ問題を見越していたかもしれない。
閑話休題
過ぎた夏の我が身に起きた課題だが、さまざまな原因が複合して、体力が弱っていたらしい。
あまりにQOL<実際の生活で感じる満足度>が低下したので、内服薬は医師と相談して服用を取りやめた。
これで当面の苦労は消えたが,体内に棲むガン細胞を撲滅する手段が失われた。やがてより大きな課題が再燃する事となろう。
たしかにこの処方薬が、苦しい夏の一因であった。
2つ目は、障碍者認定の有力な要因となった医療用酸素の方式変更に伴うトラブルであった。
この夏ほぼ1年間利用してきた酸素濃縮器に拠る酸素発生方式から、液体酸素貯蔵方式利用に切替えた。
液体酸素方式は、大病院のそれと同じ供給方法であり。おそらく外国由来の方式であって、国際的基準に則っていることであろう。
この辺の記述が曖昧なのは、ほぼ1年間利用してきた経験からである。供給業者の接触営業マンを通じて、取扱商品の全体構成を知ろうとあれこれ務めたが。実に秘密のベールが周到に係っていて、殆どなんの成果も得られなかった。
この間も複数の供給業者と接触しつつ、インターネット検索などで知見を広めようとしたが。監督官庁とその傘下にある供給業者の結束の壁は厚く、全ての入口は、主治医にあるとばかりに冷たくいなされた。
ここにもまた、ニホン的な保険システムの歪みをみる思いであった。
ここでニホン型保険なる特異に歪んだガラパゴス経済について論じてみよう。保険なる経済行為は,明治になって官主導で外国から導入された。近く江戸時代まで遡ると、この欧州由来の民間発の相互救済の仕組はこの国には存在しなかった。
官僚が鳴り物入りで,海外から招来したカタチとなって、導入され。官業システム独特の歪みを伴なって、紹介・導入されたので。あの有名な前島密がスタートさせた郵便事業と同じような変則概念が備わる。
あくまでも医療用酸素の提供は、健康保険の中の一サービスでしかないのだから、保険者である国(=厚生労働省)と医師と保険料負担者との三者が一体となって,運用されるべき私的経済事業であるべきだ。よってこの場合、保険者たる国は、行政行為でなく・すべからく私人としての立場で動くべきだ。
厚生労働省は、保険事業が本来経済行為の一端であると言う在り方に則り、一民間事業者の一員としての立場に立ち、民事法の範疇でのみ行動すべきである。
経済行為はすべからく私的活動となる=これが人類の常識である。この事の証明は、翻訳語=経済学の語源たる古代ギリシャ語の「オイコノ」の由来に遡る事で容易に判明する。
さて、窓口に指命されている吾が主治医は、医療用酸素供給体制から供給業者が扱う商品構成の全容など知る由もなかった。患者もまたそこまでを医師に求めていない。
おそらく全ては、供給業者の怠慢と驕りに由来する『酸素だけに霧のカーテン』とでも呼んでおこう。
この際、序でだから。人体要素の老化および臨床的劣化を補う介助機器全体にに話題を及ぼしておこう。具体的には、メガネ・補聴器・車椅子・歩行援助のステッキなどが浮かぶ。
これ等の補助具を買替える度毎に、主治医の診断を受け、診断書の交付を受ける。そんな面倒な手続きを踏むケースがあるだろうか?寡聞にしてワットは知らない。
だがしかし、医療用酸素の提供に限れば、供給業者の変更の都度・供給機器の変更の都度、全てコト細かに医師から診断書を給付されねばならない。何とも煩わしく、しかも手間倒れ・金食い虫である。
霧のカーテンに閉ざされたわれわれ障碍者は、日本列島の中に住みながら。生涯を瀬戸内海の孤島に幽閉状態に遇されたハンセン氏病菌保持者と大差の無い扱いをされている。
さて、話を戻そう。
液体酸素貯蔵方式に切替えた夏の半ばの頃に戻ろう。
この方式を使ったのは,ほぼ1ヵ月半であった。今は元の酸素濃縮器方式(主に在宅時の据え付け型。外出時は酸素ボトルを携行)に戻っている。
この2方式の優劣を単純かつ早計に論ずべきではないが、それぞれに一短一長がある。
液体酸素を選択した理由は、リハビリに毎週2回通っている。小さい容器に分蔵して携行する点で優れていた。ほぼ1日分だが、在宅の据え付け容器から小分けして、コンパクトな分蔵容器に収容することが毎日の日課となった。こっちの小型容器は、1kg強の重さしかなく、腰の高さに吊るしたまま、リハビリの運動器材を操作することができた。傍目からみて、酸素吸入の仰々しさを消しやすかった。しかも、供給不良時のアラーム音が備わってなかったこともメリットであった。
デメリットは、過冷却呼気の吸入とワットの健康維持との関係にあった。
酸素<元素記号=O。原子番号=6 原子量16 非金属元素>は、大気中に体積で約21%、質量で約23%含まれる。化学活性度は高く、他の元素と結びついて容易に化合物を生成する。なお、大気中の大宗は,窒素ガスで化学的に不活性である。
液体酸素にしてハンドリングする理由は、気体酸素比(観念的容積比)800分の1に圧縮できるからだが、沸点約183℃以下を保つために使われるエナジーもまた膨大なので、環境維持の面を考えれば痛し痒しである。
因みに、地球大気に気体酸素が混じり始めたのは、約30億年前からである(但し炭酸ガス状態での存在を除く)。
液体酸素方式でも病院や在宅据付容器から放出される呼気は、常温水が封入された容器を経由してから吸込むので何の課題も招かなかいが、外出先で使う小型分蔵容器の方は、それが無く直接放出されるのでとても冷たい。
日々鼻の下に鼻水が溜った。
ところで、幼児期ハナブサ・ヒサシ君は、青鼻汁が垂れ下がる事が多く、周囲からハナミズ・タレルと度々からかわれた。齢い70歳を過ぎて,再びそのような危機に遭遇する事態になったが、傍からの見えようはさておき、冷たい呼気は、我が身の健康にとって深刻であった。
ワットがこの夏ダニに悩まされたことと関係した主因と今では考えている。
生来寒冷アレルギー症の体質であり、成長期の青鼻汁もまた、慢性副鼻腔炎の一症状であった。
この小型分蔵容器に、液体酸素固有の過冷却呼気の課題を解決するであろうヒーター機能が備わっていれば、課題は回避できたかもしれない。
よって、今のリハビリ業は、元の酸素ボトル携行に戻った。デメリットはもちろんある。
手持ちの登山用リュックに最小タイプのボトルを収めて、背中に担ぐ。
ボトルが円筒形なので、どこであれ収まりが悪い。リハビリ時も在宅時もうっかり屈み込むと背中から首筋・後頭部を直撃せんとリュックともどもボトルが走る。外観がせめて楕円形など,人の体型に馴染むように変更してもらいたいものだ。
デメリットは、まだある。こっちのタイプは、呼気を間歇供給モードにしておくと、吸込みを感知しない時アラーム音を発する。ボトルシステムには警告音を消すためのスイッチが備わらない。
広いリハビリ室や公開講座の教室一杯にけたたましく鳴り響き、満座の厳しい眼差しを浴びる事になる。
この酸素ボトル専用コントローラーの設計不備及び設計改良に拠るON・OFFスイッチの配備については、医療用酸素供給業者の接触営業マンを通じて、メーカーに対して、何度も要求を伝えたが。これまで具体的なリスポンスは無い。
これもまた、供給業者と監督官庁の関係に由来する怠慢と驕りに由来する『霧のカーテン』が隠してしまうようだ。