高尾山独呟百句 No.12 by左馬遼嶺

瞼には  ハイビスカスに  ザワワあり
〔駄足呟語〕
過ぎた6月沖縄を訪ねた。
その背景を述べると、いささか厄介だが。
要するに、前回の沖縄の旅での帰路、那覇空港のカウンターで、医療用酸素を航空機内に持込もうとして、トンデモナイ苦労を味わったことを、ブログ日誌に書いた事があった。
それを読んで。健常者が、障碍者とは思わぬ辛酸を舐めさせられるものだなあと、思ってくれる事を期待して、あえて記事にしたつもりだが・・・・
世の読者は様々だ。同じ苦心をもう一度味わうべしと思ったか?わざと同期会の会場を沖縄にセットした,酷い同期生が居たものだ。
と言っても、会への参加は自由なのだから、欠席する手もあったが。参加状況を伺うと,皆が出ると言うではないか。そこでワットも行くこととなった。
ただちに旅の目的が追加された。
前回の旅で酸素ボンベの手配が洩れていて、そのリカヴァリーを見事にこなしたホテル・モントレのホソカワ君を訪ね、再びお礼を言上しようと言う事になり、当地金沢ゆかりの銘品を厳選して手交した。
快く面会に応じて戴いた事にあらためて感謝を思い、口にした。
年齢を増すごとに,感動は薄れるが。若い人の活躍にはおおいに期するものがあり、帰路のレンタカーで、沖縄の産業を少し知りたいと思い直して、わざわざ製糖工場に立寄った。
しかし、道路沿いに立地する工場では、サトウキビを絞る工程のデモンストレーションは、午前中だけとの事で、見学する事は出来なかった。
パックされた黒糖をほんの少しだけ買い求めて来た。
途中、トラックの荷台に,溢れんばかりのススキ様の植物を満載して行く軽四と、繁くすれ違った。それがザワワを収穫してから処理工場に運び込む車両であった。
閑話休題
沖縄の花は、温帯降雪地のそれとは趣きが異なり、派手にして豪勢だ。
まず憶い出すのは、色鮮やかなハイビスカスの赤い花だ。
ブーゲンビレアなどと同系であろうとガンを付けてみたが、外れた。
アオイ科フヨウ属と言うから、オクラの花に近い系統らしい。
オクラは、その昔。自家菜園で,自分の口に入るものは何でも自分で育てようとばかりに、無知の突っ張りで、俄百姓を始めた時に,選んだ食材の一つであった。
春の早い時期に、苗を購入して定植したが、寒い日があると自然消滅してしまい。慌てて苗を買替えに行った事があった。当地ではカッコウの啼くまで、寒波の襲来を畏れよとする金言がある。
さすれば、オクラはやはり暖系の植物で、吾が温帯では一年草扱いとならざるをえない。
オクラを自ら植えたから、オクラの花の美しさを知りえた。淡い薄黄か・上品な薄色の淡緑だが、朝の農園では一番の美人だった。
サトウキビだが、熱帯圏ニュウギニア辺では、相当早い時期に栽培されていたとする見方がある。
陸中国は,唐時代にもう、この甘蔗<かんしょ>なるものを利用していたらしい。
詳しい事は不明だが。落語に「附子<ぶし>」がある。寺の中での砂糖貯蔵をめぐる笑い話だ。
漢方薬でもあった背景も含め、一部の留学僧が知り、彼等の身の回りにあった事情を語る逸話であろう?
中国は、この栽培法や砂糖の製法を、長い間,門外不出として来たらしい。
ザワワの国内産地は、主に奄美と沖縄だが。奄美大島には、慶長15・1610年福建省に漂着したことを奇禍として、彼の地からサトウキビの苗と製糖法を密かに学んで還って来たとの伝承があると言う。
この地域の特産品を藩財政立て直しの踏み台にして、農民収奪を強化したのが、薩摩藩であった。
一説に,砂糖の販売益が薩摩藩に幕府転覆の軍事的成功をもたらしたとする見方がある。
ただ、砂糖の流通は、幕府の独占した長崎出島口での貿易との抵触もあり、その痕跡を辿る事は難しい。
シュガーロードなる勇ましい話題は,各地に残るが、いま一つ具体的に掴めないのが、海運史の実態である。砂糖の消費が増大するのは,文化文政時代以降であろうか?
以下は全く机上の空論だが。幕府の奢侈禁令の対象品に組込まれることもあったから、北前船なども、おおっぴらに積込めなかった事情があったかもしれない。
更に、砂糖は高価でも、どこでも捌けた。しかし、その商品特性から取扱注意であり、バラスト扱いとされたかもしれない。そのため海運記録文書を以て追跡しにくいとする見方もあろうか?
なお、バラストとは、型どおりに説明しておくと。
船舶の操船を安定させるため,舟底に積込む材料類を言う。
現代の海外運航船では、バラスト水として、どこでも調達し・いつでも放棄できる海水が一般的だが、生物環境汚染や外来生物の侵入などの諸問題から、その処分は厳しく規制されている。
北前船の時代は、石や瓦などが一般的なバラストであった。出港地で積荷が少ない時に、安価に入手できる・嵩張らない・重量物が選ばれた。そして積荷が増えてきたら、何処でも直ちに手放された。
最も有名なバラストの例は、越前国福井県三国港から積み出された釈谷石である。
最終運航地である北海道の日本海沿岸各地に下ろされ、その地の建造物礎石や神社の灯籠石・階段葺き石などに有効活用された。