高尾山独呟百句 No.9 by左馬遼嶺

はえの風  ときどき受けて  道迷う
〔駄足吠語〕
吾が住む北陸は、先週やっと梅雨入りした。
しかし、肝心の雲行きは、夏模様である。カラツユなのか?
扇風機の起すファジーな揺らぎのある風(1/f)が快い昨今である。
その先週だが、ひょんな会合があって、梅雨が明けたばかりの沖縄那覇に居た。
南西諸島の太陽の下を移動して感じた。
梅雨明け直後のためか湿気が抜けておらず、期待ほどに気体はカラリとしていなかった。
単純に考えれば、南に下って、熱帯に近づく分、暑そうだが。実際は、海風があるので、彼の地の気温は、そう高くないらしい。
閑話休題
ハエは、風の名である。文字は、南風と充てる。
南風原町はえばる・町>にある「絣の道」を半日ほど、ぶらぶらした。
那覇の隣にある、言わば内陸の町であるが、絣<かすり>の生産で知られた地域である。
風も絣も共に話題になりにくい古い世代の関心事かもしれないが、吾が家では現在進行形である。
ヨットは、風で走る。
絣は、身を覆うホンモノの布。
かの高名なガンジーが、脱植民地運動を唱えながら、各地を自らの足で歩いた時、常に手に持って、民衆に訴えかけていたモノは、糸繰り独楽<こま>であった。
統治国イギリスの産業革命による機械生産で、インド国内伝統の木綿布生産は、ほぼ消滅した。
ガンジーは、口先だけでなく、手を動かしつつ・足を以て、伝統産業の復活を訴えたのだ。
衣・食・住の自立が、重要な事を。欧州のエリート教育を受けた彼は、よく知っていたらしい。
ハエ(=南風)は、夏の季節風であり。温か・やや湿気を含み、晴れた日にそよそよと吹く。
現代の漁師は、動力運航の船に乗るから。帆船時代ほどに風向きに敏感ではないらしい。
その点、風向きにシャープに反応するのは、ヨットマン達である。
ヨットは、構造上の工夫で、ある角度をもって風上方向に走航できる。その点が、日本伝統の帆船類と基本的に異なる機能であろうか?
さて、他にも。
南風と書く地名や海浜に生活する住民の用語を追いかけた人物に柳田国男・関口武の両氏がいる。
かいつまんで言うと。
ハエなる言葉が使われるのは、沖縄〜九州一円〜山陰〜富山県まで。
太平洋側は、鳥羽・伊豆など飛び飛びに残る程度で、伊豆の伊東が東端であると言う。
南風は、俳句にもときどき登場する。
詩人の山本健吉は、生活感情のひだを感じ取って俳句をつくれ。「歳時記」を引いて、詩人の役割は、俗談・平話を正す存在であり。俳句は風土の詩であると唱えている。
さすれば、現代において、風向きと風の名に厳しく立向かうのは、俳人とヨットマンと言う事になりそうだ。
更なる蛇足だが、
瀬戸内海のマゼもまた、南風であるとする見解がある。
真帆<まほ>=順風満帆から転じたとする説らしい。
しかし、一定方向に吹く風向きは、和船の走航機能上の制約から、果してどうであったろうか?
朝と晩・漁場と母港を往復する場合、南風は必ず好まれるとも決め難い。
ただ、太平洋サイドでは、南風は概ね着岸風となるから。ほぼ真帆で、母港に戻れる救いの風となろう。
さて、南風原の「絣の道」でみたものは、高度に文化的であるが故に廃れつつある布の姿であったかもしれない。
この地には、産業後継者を育成するプログラムがあって、最短修業期間が2年だと言う。
「絣」のプロを育てる事は、かなり約束事が多く。しかも生産工程の始まりから終りまでデザインなる生産上の情報を全員が共有し続けなければならないと言う、先染め織物固有の難しさも伴うようだ。
まさにその文化深度こそが、現代のイージーポピュリズム・拙速達成主義の愚民層に受けない真の理由かもしれない。
かりゆしウエアーなる民俗衣装と「絣」との折合いは、商業的に苦しいであろう。
コストの面で、後染め系織物との競合に晒されるので、先染め系の「絣」は、今しばらく低迷するかもしれない。
絣織物組合会館の2階で、タテ糸にマーキングする作業をみた。
すぐ隣の高機(たかはた)作業室は、エアコンが作動している。間にガラスの開け閉めできない仕切り窓があって、この作業室は、天然の風のみを受ける工夫があった。
手が空くのを待って、その意味を質問してみた。
答は、エアコンの風も扇風機の風も、タテ糸の印付けを損なう危うい風だから・・・
先染め織物のスタートを担うタテ糸工程は、さほどに気遣いを求める最重要プロセスなのだ。
イージーモダンの家電機器が造り出す風は、文化深度において、未だそこまで達していないのであろうか
さて、南風原なる地名の由来だが、那覇の漁師町からみて。ハエの風上にある土地と解したい