もがみ川感走録第45  山形人その2 

もがみ川は、最上川である。
最上川は、最上流の水源山域までそう呼ばれるとする者と。そうではないとする者が居る。
何でも1つに決めないと気が済まない立場の人もいるだろうが、筆者は拘らないほうだ。
現実には、水源から長井盆地の置賜白川合流部までの上流域を松川と呼ぶことが多い。
どちらかと言えば、米澤辺の住人は、松川と呼び慣れているのではないだろうか・・・
最上川の支流総数は、400超と言うから。あまり細かいことはさておき、話が通じさえすればよいのである。
米澤盆地を過ぎて、もうそろそろ長井盆地に差掛かる平坦部で,松川に注ぐ支流を犬川と言う。
犬川は、南南西の高山地帯から流れ出し。麓の東置賜郡・川西町の町域を流れ下った後、松川に注ぐ。
犬川流域に、JR米坂(よねさか)線「うぜんこまつ」なる駅がある。
その辺が、井上ひさしの生地である。
井上ひさし(1934〜2010 劇作家・放送作家。本名=厦・ひさし 文化功労者表彰)は、この地で。文士・劇団主宰者の息子として産まれた。
父は、在地の農村解放運動に従事し。検挙歴があり拷問を受けたため、ひさし5歳の時に病死した。残された3人の子(いずれも婚外子)を養うことになった母は、岩手県一関市などに転出するも。生活苦から孤児院に預けた、彼は言わば不遇な育ち方をしている。
この時の「光が丘天使園」<カトリック系修道会・ラサール会が運営する児童養護施設宮城県仙台市にある。最寄駅・東仙台>での生活風景は、小説『モッキンポット師の後始末(講談社1972刊行)』に詳しい。
仙台一高〜上智大学(フランス語科)へと進む。
高校では新聞部に所属するが、1年先輩に菅原文太が居た。
杜の都仙台での高校生活を回顧した小説『青葉繁れる(文藝春秋1973刊行)』は、翌年にTVドラマ化<TBS放映>され、同年に映画化<東宝系で配給>もされた。
因みに、後のベストセラー小説『吉里吉里人(1978〜80小説新潮に連載。単行本は新潮社1981刊行)』は、結果として映画化されなかったが。その映画化権は、当初から俳優の菅原文太に委ねてあったことが、30年以上も経過して後日判明している。
上智大学在学中からフランス座<浅草ストリップ劇場。当時は渥美清長門勇谷幹一関敬六などが前座の小喜劇を演じた>の小喜劇台本を書き始めた。
1960年大学卒業後、放送作家となる。
子供番組の人形劇「ひょっこりひょうたん島」が、国民的人気を獲得
1964年4月からNHK総合TVで放送開始。
好評の中、5年を経過した頃,突然に番組は打ち切られた。
これは一般論だが。社会市民の成熟度が低く・文化後進性が指摘される場合、官営放送の自立は信頼が置けないものとなりやすいとする見方がある。
子供向けのファンタジー設定に、どれほどの教育効果を求めるべきか?
火山災害から漂流し始めたシマ、そこに海賊が上陸する場面設定。郵便局員ネコババする設営。をヤリ玉に挙げる見解が寄せられたと言う。
それ等がどれほど道徳的に良くないか?判定に苦しむが。
メディアのありようとして、その結末に大いに疑問が残る。
次いで、「ネコジャラ市の11人」が、放送された。
1970年4月からNHK総合TV。ほぼ同じ構成メンバーによる制作で、放送された。
これもまた3年ほどで、打ち切られている。
こっちの方は、作風が反体制的であるなどの声が、NHKに届いたらしい。
日本版マッカーシー旋風<レッド・パージ>と言うべきであろうか?何とも情けない文化レベルである
1983年1月、劇団・こまつ座を立上げる。
井上が唯一の座付き戯作者にして主宰者だが。興行場所は、新宿駅新南口に近い紀伊国屋サザンシアターであった。
因みに、こまつは、彼が生まれた土地の名である。小松村を併合して現・川西町になっている
公演回数は、通期100回を超えるが。いずれもオリジナルの書き下ろし創作劇であった。
よって、ここでは作品タイトルを抽き出し掲げることはしないが、自ら作ったルールが後年首を絞めることとなったようだ。
後年、ペンネームを遅筆堂と称した。台本が間に合わず、休演することが度々であった。
彼の場合、文壇活動を含めて顔を出す領域が広がり過ぎ多忙であったこと。並外れた「ことばへのこだわり」と「ことばの保有量」の多さが、災いしたと考えられる。
彼のモットーは、「難しいことを易しく 易しいことを深く 深いことを面白く」であったと言う。確かに創造性と完成度は抜群であった。
小説にも、先に挙げた吉里吉里人などあるが、質量ともに優品が多く。作品名を抜出して掲げることは到底できない。
故郷の地に蔵書を寄贈して、1987年図書館「遅筆堂文庫」が開設され。ついで、「生活者大学校」が設立された。
ネーミングが喜劇的だが。彼の場合、親・子2代に亘る劇団主宰であった。活躍の場が、在地と全国区と。少し違いがあっただけである。
ともに底流に流れる心情は、反権力・反体制であった。実に熱い血潮が溢れている親子と言える。
そもそも東北の地は、遠く律令時代から。僻遠の地であり、化外の土地であった。
まつろわぬ者の系譜は、すべての東北人に「反骨」の血脈として受継がれていることであろう
最後に最近の出版動向を披露したい。
井上ひさし生誕80年を機に、岩波書店が刊行した「井上ひさし短編中編小説集成・全12巻は、今月をもって完結し。未収録であった作品類も網羅的に刊行される運びとなったもの。