北上川夜窓抄 その2  作:左馬遼 

北上川の第2節である。
この新しいシリーズは、先月から書き始めた。本日の第2節を出稿するまでに1ヵ月以上が経過した。
徒らに放置していたわけではない。確実なことを記述するための確認作業に思いの他、足をとられた。
ことが川だけに、見通しも利かないほどの酷い蛇行であった。
その経緯を書こうとも思ったが、読者にとってどうでも良いことだし・・・未だ全ての疑問がスッキリ解決したわけでもない。おそらく今後とも書くことはないであろう。
とまあ、どうでも良い・思わせぶりな書き出しとなったが、北上川のスケールの大きさを改めて思い知るとともに東北の深い闇を垣間みたような気がする。
さて、初稿で、北上川は河口が2つあると書いた。
事実がそうであるから、それだけだが。いずれが,人為による改修工事をもって構築された河口か?
それとも有史以前からダブル河口であったか?
そのいずれとも,決めかねたし。いろいろ調査しても埒があかなかった。
まあ、スケールの大きい自然だから「現況有姿=それで良し」とすることにした。
合理性からすれば、古い過去の変動・これまでの経緯を究める。そのことにさしたる意味は無いとも言える。
今では、事実それでよいと考えている。1ヵ月も回り道して、それだけの答と言うのは、いかにも枝葉末節に拘る愚者の極みとも言える。
北上川の河川改修は、江戸初期と明治以降。この2つの時期・時代に行われた。
その2つの工事の前後で、ある区間=河川長の呼び名が、本流・新川・旧川と異動した。
つまり時代を通じて、区間呼称が一定していなかったのだ。
本流の遷移は、河川改修を河川分離の目的で実施した記録があるから,一方が本流。他方は、分流と呼ばないまでも事実としてそうなった。
次に、後の時間軸場面でも,引続き本流と呼ばれたかどうか、それが実は判らない。何故なら、時代も工事主体も工事の目的も変っているし。河川自体が、一度の出水・大洪水で様相を一変させてしまい、過去の人為を事実上消し去ることもある。
過去に遡って、どのような工事をしたか?それを知ることに。あまり意味がないとも言える。
そもそも川自体は、こっちが本流だなどと説明すらしない。
新川・旧川の呼び名もまた、時代によって入替わった。
新川は、追波湾に注いでいるほうの川の呼び名であり・旧川は、石巻湾に注ぐ。
ある時期そうではなかったのだ・・・
時々に呼名を新・旧と入替えることは、筆者の想像だが、高度に政治的な意味があることでもあるらしい。
儒教文化圏の東アジアでは、古いほうが高い序列を占めるべきであり・「新」と呼ばれるほうは低い序列に留まる宿命だからだ。
詳しくは触れないが、北上川・迫川<はざまがわ>・江合川<えあいがわ。地元では荒尾川とも言う>の3川は、伊達藩領となってから今日までに何度か、人工的に合流・分離させる工事を繰返している。
その河川改修工事の成果を享ける流域住民は、洪水を免れたり・時に大きく被ったりの浮き沈みを繰返して来た。
時々の為政者は、耕作地を増大させたいと思ったり・水運を盛んにしたいと考えたり。時代のニーズに応じて、時々に改修工事の主眼やその軽重をスライドした。
これは誰でも知っていることだが、農業者にも・水運業者にもメリットのある河川改修事業はない。一方のメリットは・他者の被害増大であるのだ。
あるごく短い区間河川の些細な改修工事でも、洪水域が上流に移ったり・逆に下流が増水したりと。意想外の河川事象の変化をもたらした。
その都度、流域住民は、被害の苦労を味わされた。
河川改修が招く氾濫原の遷移・変動は、下流から中流域まで・時には支流をも巻込んだりした。
こう書くと、現代人は、すぐに相互の利害の対立を連想する。
これもまた周知のことだが、型どおり述べよう。
全流域共通に歓迎される河川改修事業もまた存在しない。
例えば、上流での護岸改良は、中・下流域の洪水被害拡大に直結しているし。その位置が中流域に移っても全く同じことで、上・下流住民から反対の声が上がる。
何故なら河川自然は長大だが、人為は極めて小さい。全ての流域で同時に工事着手して・同時期に竣工させる妙手があれば、解決する問題ではあるが・・・・
上述の連想が可能となった背景を考えよう。
列島で旅行の自由・居住の自由が認められ、個人が権利意識に目覚めて。ざっと140年くらいでしかない・・・・それ以前は、生まれた土地にへばり着いてから死ぬまで、ざっと50年。人の移動は皆無だ。
地域の古い洪水の記憶が、どれほど共有されたであろうか?
上・中・下流域での河川改修が、どう行われるか?知りえたであろうか?
知り得たとしても現在進行形を含め・過去の経緯も絡めて、どれだけの時間軸を取込めたか?
そして全河川の空間軸全体を俯瞰できる智慧者が、果して存在したであろうか?
いずれにしても膨大な情報量である。
洪水に遭って肉親や田畑を失う立場の住民にとっては、とても覚束ない情報レベルであり。
遥かに及ばないクラスの識見であったろう。
その点において現代は少し違う?
工事着手前の事前評価<アセスメント>や環境調査・予測変動などの公聴会
いずれもだが、耳にあまり馴染まない平成の大実験のようである・・・