もがみ川感走録第26  べに花の2

もがみ川は、最上川である。
ベに花の第2稿であるが、話題として幅広くかつ奥が深いテーマだから、筆の運びがじつに重い。
人世とは、端的に衣・食・住そのものと考えたい。
ただ、詰らないことだが。吾が身に照らして、並べ順に拘る。
この最上川シリーズも「食・衣」の順序で採上げてきた。
何も難しいことは無い。ただただ、何時・何処でも最も苦労することが、”喰うこと”であった。
人生70年の実績を踏まえ、いつの時代も「食」を第1に掲げるべきと考える。
やはり環境こそが、人をつくるだ・・・今更致し方ない
「衣」との出逢いは、約48年前であった。社会に出て、自らの生活費を稼ぎ始めた時。右を見ても左を見ても、繊維産業ばかりの地域経済と遭遇した。
と言っても、その産業の内で・その職業に従事したのではない。
繊維工業界の外に居て、耳学問や眼で見る知識としての「繊維」と,約半世紀付合って来た。
とまあこのようにオンボラアと長く繊維と付合っていても、判らないことは多々ある。
吾が疑問をひとつだけ紹介しよう。
何故?和装着物を売っている店のことを呉服店と言うのであろうか?
呉と言うのは、遠くユーラシア大陸の地域名であり、中国の地域王朝またはその王朝を構成する地域民の呼名である。
その「呉の地に住む民」と我々和人は共通の風俗・重なる装束史を保有しているのだろうか?
とまあ、自らの手や足を使うことなく・ひたすら眼や耳だけでコンタクトする繊維感は、経験だけで体験でないから。妙な疑問に引っかかるものらしい?
かくも紅花は、奥深く・幅広い。
幅広さとは、シルクロードの両端の長さである。
奥深さとは、シルクロード空間を移動した交易民の総人数に個々人の総移動距離を累算した総和時間である。
ダラダラした前置からテーマに入っておきながら、ここに来て、一挙に総括めいた宇宙論?に飛んだが。
紅花に携わったことがない者の机上論だが、もう少し噛み砕くこととしよう。
紅花は、「衣」産業の一原料である。
衣服に色を置くための素材のひとつ。植物由来。原産地は、エジプトとされる。
そこはシルクロード空間のほぼ西の端である。
染色素材=紅花と最も相性のよい繊維基材は絹である。
衣服は、糸の組合せによって造られている。糸をここでは基材としたが、絹の糸をフツウ生糸(きいと)と呼ぶ。
生糸は、動物由来素材だが、人類史上これを使って最初に衣料に組上げたのが、中国である。
中国はシルクロード空間の全く東端である。
つまり、紅花と生糸は,今ではベストコンビだが。この2つが出逢うには、気が遠くなるほどの距離と時間を要したことであろう。
今日の予定原稿は、ここまでだが・・・少しワープする
人類史を繙いても、ベストコンビの紅花と生糸とが、出逢うまでに費やした時間を究めることは出来ない。
ただ、象徴的な意味での歴史時間を算定するべく トライしてみたい。
20世紀の半ばに出現したコンピュータは、現在進行形のIT革命の主役だが、技術上の基本概念に、織物があると言われる。
コンピュータをあえて日本語に置換えると、いささか古典的過ぎて実体と程遠いイメージに達するが、電子計算機となる。
当初の開発目的が、軍事用計算機であった。大砲で遠距離射撃をする。短時間のうちに砲撃目標に正確に命中させたい。無駄な砲弾を節約したいと考えたことが、始まりであったらしい。
つまり弾道計算だが。いかにも暗算・速算術を持たない西洋人らしい発想ではある。
しかし、実用化のメドが建つ頃、第2次世界大戦はとっくの昔に終っていた。
ここでコンピューターの本質を見極めよう、本来的に欠陥を備えた「亡国のシステム」であると言えそうだ。
ほぼ同時期に出現した軍事技術に、原子核分裂によるエネルギー創出がある。
この無理矢理捻り出された「地表の太陽」は、スリーマイル、チェルノブイリ、フクシマと,立て続けに操作失敗による悲惨な生物損傷事象を多発させた。
こっちのほうも軍事技術固有の本質的欠陥に満ちあふれており。「地球を滅ぼすパンドラ・システム」と呼ぶに相応しい。
いささか、脱線した。少し戻ろう
コンピュータも開発当初は、日頃扱い慣れた10進法により作動させる所謂アナログコンピュータ方式であった。
実用化に踏み出した現用方式は、2値論理によるディジタルコンピュータである。
ここに織物組織=タテ糸とヨコ糸を組合せて、無限・長大の布帛に至る製織と重なる思想がある。
さて、人類が糸を織って,最初の布を造り出したのは何時のことだろうか?その日から数千年程経ってコンピュータが実用段階に達した。
それよりも更に長い年月を要したのが、絹の糸と紅花の出逢いであった。
絹と紅花の出逢いは、全く予期せぬ偶然から生じたベストカップリングだが。この象徴的な歴史時間を味わうことができるのは、カップリング後に生を享けた後世人だけである。
その後世人もまた、ごく少数でしかない。
何故なら絹と紅花は、王族の布であり・色のある衣装は貴族の独占物である。
日々の”食に追われる庶民”とは、ほぼ永世的に無縁な存在ですらある。