もがみ川感走録 第25 べに花の1

もがみ川は、最上川である。
前稿で最上川の川魚を採上げたが、意気込みほどの成果は見つからなかった。
支流に「鮭川」なるドンピシャリの名を持つ川はあるが、最上川本流で・サケがらみの特産品を見出すことはついぞ出来なかった。
時は、まさしくサクラマスの遡上する時季=桜の花が咲いてまた散る頃である。サクラマスは、トキシラズとも言うらしい。魚群大勢が遡上する秋季まで上流に留まって、婚姻・生殖シーズンの到来を待つと言われる。
筆者も何度か酒田市内のレキとした大衆割烹で、立派な赤みのサケ身を頂戴して、美味を味わったことを思い出す。
ただ、この稿を書いてしまった今日、鮮やかな紅色のサケ身を口にすることは、いささか罪悪感を覚えてしまう。
サケの身肉にある鮮やかな紅色は、再言するが、彼等の婚姻色である。交尾の時季が来れば、雌雄を問わず、身肉中に保存される栄養分は、子孫を残すためのエネルギーとして消費されるか・精子または卵子に引継がれる。
そのアトの紅色が失われ・かなり美味しさも褪せてしまった身肉をこそ、罪悪感無く・安らかなる気持で味わいたいものである。
何故なら、あの鮮やかな紅色はエネルギーそのものであり・色の消滅すなわちエネルギーの消失を意味するからだ。
ここで解決策を披瀝しよう。
先日NHKの科学番組で、近畿大学の食用高級魚の養殖事業を知った。最先端の科学・生物学の知識を網羅して実施される=そのプロジェクトの卓越性を、少なからず敬意の感を以て、観賞した。
それまで単純に。養殖とは、自然界を出来るだけ模倣した環境を人工的に造成して。ひたすら効率と経済的利益を追求するものとばかり勘違いしていた。
ところが、その大学発プロジェクトは、万一不慮の事故により養殖イケスが破壊されて、その中に居た養殖中の魚類が自然界に放り出されても。仮に自然界の個体と交接するようなことがあっても、子孫が生まれることが無いよう配慮されていると言う。
地上の栽培農業が、ざっと1万3千年から8千年の長い歴史を持つ人類史を考えた場合、海または水系における食糧生産つまり魚の養殖のほうは、大きく遅れをとっていると言うべきであろう。
養殖が常態となり、人類の需要の大半を担うようになれば、安心して鮮やかな紅色のサケを味わう好日が、吾が身に訪れる事態となるのだが・・・・
さて、最上川である。
最上川流域の人々は、あれほど鮮やかな紅色のサケを好んで口にするのは、何故であろうか?
知らず知らず、何度か、口に出してしまっていたようだ。
ある知人から、ある日突然こう言われた。
最上川と言えば、何をさておいて”べに花”・・・・鮮やかな紅色を見抜く地力は、他のどこよりも優れている県民だろうよ」
言われてみて、自らのボーンヘッド=骨頭(ミソが無いか・乏しい)ぶりに、がっくり来た。
山居島に何度も足を運んだ。あの倉庫の一画に、紅花の展示施設がある。
かなり広大な展示面積であり・並べてある適用品種類も豊富だ。その徹底した網羅ぶりに、つい生じた疑問を。その場に居合わせた係員の女性に質問したら「学芸員は、常駐しません。連絡すれば、酒田市庁舎より出かけてきます」との答。
そこが即売施設であることに始めて気がついた。
その時は、もう夕暮れ時であったから、抱いた疑問は、解決しないまま今日に至ってしまっている。
とまあ・・・前置が長くなったが、予備知識が備わらないまま。苦手意識のある「べに花」を採上げる時が唐突にやって来てしまった。
山形・最上川とくれば、紅花・おしん芭蕉・急流。これが定番だ。
もう耳新しいことは、何一つ残って居ない。
染め物だけに避けたい喩えだが、もうかなり手垢まみれの話題。
聞かされるほうも”もう良い”耳タコ段階と思えば、こっちもあまり力を入れない。
よって、以下は、月並みの話題を型どおり。何の脈絡も無く・行きつ・戻りつ、川の澱みをタラタラと蛇行してみようではないか・・・
閑話休題  色は風俗である。
このことは、我ら現代の自由な気風の下に生まれ育った者には、到底身につかない。千言を尽してもピッタリ来ない生活感情=理解不能な事態である。
そこで風俗をやや耳音が近い漢字を以て書き換える。意味するところが少し判るようになるか?
”服飾”・”服属”に書き換えた。
最近のTVは、どのチャンネルに変えても、韓流ドラマ・しかも王朝時代ものであったりする。別に観賞せずとも、一目瞭然に察しがつく。
登場人物の貴賤・上下が、一眼で分かる。
男女を問わず、貴族・官員は色鮮やかな衣装である。
対蹠的に庶民の衣服は、これまた男女を問わず・くすんだ色の衣服だから。
詳しいことに踏込む余裕は無いが、洋の東西を問わず、衣食住の色や形について、身分の上下による・極めて詳細な規制が存在した。そう推定して、おそらく間違っていないはずだ。
我が国にも、同じような事例は勿論ある。ここでは、知名度に頼る、日本書紀聖徳太子に登場してもらおう。
推古11・603年冠位十二階を制定した旨の記事である。
隋・唐制の模倣であり・後世の史官による脚色加筆や時制遡上の疑い無しとしないが、延喜式などに度々出現する内容の記事と重なる。
よって律令時代には、着衣や身の回り装飾品=服飾のこと=をもって身分・官職地位を示す。詳細な服飾規定法規があり・それを厳密に遵守することがすなわち権力への”服属”を無言のうちに内外に示す所作となっていたであろう。
天智3・664年には、二十六階であったと言うから、少なくとも色と形を工夫して・26の組合せを捻り出したのであろう。
現代は、カロザースの発明になる高分子化学の成果たるナイロン素材と。やや時代は早まるが、アニリンに代表される化学染料の出現により。古代より現代のほうが、より鮮明にして・細やかな色目の差異区別があり・高級化しているものと考えがちだが、、、、それは単なる想定上の仮定でしかなく。真相は、おそらく古代も現代も。良い勝負で、甲乙つけがたい・高いレベルであろう。
このことは素人でも、中宮寺に残された天寿国繍帳<これまた実在を疑われる聖徳太子ゆかりの尼寺だが>や20年ごとに調度・備品の一切を更新する伊勢神宮奉納の式年造替の布などから、容易に想像することが出来る。
最後に。川を論ずることも・川に因む風物たる”べに花”を語ることも、いささか時代の風潮に棹さすような愚行であり。時代錯誤を更に掘返すような珍行と受取られそうだが。筆者は古物好きではあるが・古知識自慢でもなければ・歴史趣味もまたない。
現代では一見忘れ去られ・失われてしまって存在感が褪せた『川の価値』も、いつか近い将来、人類史の長さで俯瞰され、見直され・再評価される時季が到来するに違いないと考えている。