もがみ川感走録 第24 川魚-2

もがみ川は最上川である。
最上川に因む特産品シリーズのうちの川魚編の第2稿である。
筆者にとって、実に困った事だが。最上川の水面から穫られた肴を使って、広く知られる存在としての特産的食品はなさそうである。
前稿において、ちらっとシャケに触れたが。たしかに山形県の人達は、格別美味な高級な鮭を口にしているが、それを最上川で漁獲しようとする拘りは、持合せ無いらしい。残念である
その食材獲得行動は、ある意味合理的である。より美味しいものに迫ろうとする、上級財への指向だが、行く行く見直しが必要であると。筆者なりにチェックの必要を申上げたい。
最上川の支流に”鮭川”なる川がある。
流域地圏は、最上郡のうち、玲瓏鳥海山の東麓に当る純然たる内陸部である。すぐ北において秋田県と接する山間部である。
ところで、いささか余談だが。
古代において出羽の国を新たに設ける際、律令中央政府陸奥国から置賜・最上の2郡を割いて、出羽の国内の郡へと所属替えを行なった。
ただそれだけの事でしかないが、陸奥国は太平洋岸に面したいわゆる東山道に分類される。対する出羽国日本海側に面する北陸道に所属する。この「道」なる地域分類は、地方の所属を定める分類基準のうちで最大規模のものだ。その区分を越えて、配置換えされる”郡”とは、異例中の異例である。よって格別の感慨を覚える次第。とまあ、それだけの事でしかない。
実はまだある。その後、最上郡から村山郡が分れ、元の最上郡は、最上・村山の2ブロックとなった。現在の最上郡は、村山郡の北に位置する。しかし、かつてはそうでなかった時期があった。
長い通史=山形県史の珍事だが、何故そうなったかがよく判らないらしい。戦国から幕藩期への秩序転換期に配置位置と呼称郡名との間で、取り違えが生じたらしいが、真の原因は依然不明だから不思議な事はあるものだ。
さて”鮭川だ。地域では、川の由来を鮭の遡上にあるとしており。人工孵化場も存在する。
地域の産物に「鮭の新切り」なるものがある。地元では、「鮭の新切り」と書いて。”ようのじんきり”と発声する。何とも奥ゆかしい。特に鮭の腹皮をわざわざ竹で伐ると言うから、念が入っている
。ここで筆者は、余計なことだが、「鮭」の字を”よう”と詠む所以を探りたい。
同じ?日本海側の鮭産地で、「鮭」を”いよ”と呼ぶ土地がある。新潟県三面川河口の村上である。
一方が”よう”で・他方が”いよ”だから、殆ど同じである。意味を摂るために漢字を充てると「魚」となる。お判りいたでけたでしょう・・・・・
”よう”や”いよ”と呼ぶ土地では、鮭が魚の代表とも言うべき貴重な存在であることをコトバが示している。
冬場に向かう秋の終り頃に、貴重な食糧源が自ら川を遡上して「食べてください」と押掛けて来るのである。越冬前のクマだけが潤うのではない。新潟県三面川山形県鮭川の流域住民だけが、古来からその地に備わる自然の恵みを、座しつつ享受しているのだ。
自然の摂理に沿う上古以来の生態学的合理性に備わった仕組に対して、人工孵化なる智慧ある工夫を少し加えるだけで。ほぼ未来永劫に天然食材を労少なく・効率よく受取る事ができる。何とも優れたカルチャーシステムであろうことか
このような鮭の河川遡上は、日本海側では極論すれば有明海との切れ目まで。太平洋岸は茨城県を南限として、見る事ができるのと言う。
福岡県嘉麻市嘉穂町これは、遠賀川の流域であり。近くに小石原焼なる窯業地があることで知られる玄界灘の町だが、なんとそこに奈良時代創建の鮭神社があると言う。ここではそれを以て、古代における鮭遡上のエヴィデンスとしておく。
となれば、最上川本流に本来あるべき鮭の遡上が、ある時期に失われたものと解される。
しかも、その気になりさえすれば、復活・再開は容易であるとさえ言われている。既存の人工孵化場に足を運び、受精卵の払い下げを受け、故郷の川に放流する。その行ないを根気よく数年継続すれば、北陸以北の日本海側河川では、鮭の遡上を実現できるらしい。
幸い、最上川は、それほど水質汚染が進んでないのだから、実現可能性は高いと言えよう。
問題が無いわけではない。経済性の壁である。
只今現在食べているピンクサーモンより、見た目も劣るし・おそらく味のほうも確実に劣るであろう地場産鮭を。どれだけの人々が、買ってくれるだろうか?
生態学的合理性に回帰するために、どれだけの山形県民がグルマンとして肥えに肥えてしまっている
食味舌を鈍らせることに同意してくれるか?事の成否はそこにある。
アキアジ・トキシラズ・サクラマスと呼名は、それぞれだが。いずれも海で捕獲された海棲種また海棲期の川魚である。極端に要約すれば、鮭も鱒もヤマメ(山女)もイワナ(岩魚)もトラウトと総称される。川にも海にも棲んでいるし・川と海の間を行き来する。ただ穫れた時期と場所により外観の大きさは大いに異なるから異種と勘違いされる。
この魚が、故郷の川に戻るのは、生殖のためである。
産卵場所が、生まれ育った川の最上流域=山間域の川と決っている。
だから、産卵・交尾を達成する前の成魚を捕獲してはならない。自然再生産のサイクルに人間が干渉してシステム破壊する事になるからだ。近未来の絶滅危惧種を増やさないために、人は自制すべきである。かつてのニシン・これからのサケ。賢く二の舞を避けたいもの
唯一・已むなく許されるのが。河口付近での人工孵化である。
人為的に産卵・受精に関与して、種の再生産システムそのものを破壊しないことだ。
では、三面川&鮭川の人工孵化場は、何故河口または中流域に置かれるか?
それは、魚肉に含まれるピンク色のエネルギーが、河川を遡上する過程で、魚卵=イクラの赤色&魚体表皮の交尾・妊娠色に移される。その事で、魚肉の食味が失われるかららしい。
先に触れたアキアジとは、知床半島の漁場において漁獲する鮭の呼名である。筆者は1967年に知床国立公園を旅行したが、その地は1960にリリースされた映画「地の果てに生きるもの」の舞台だ。
その旅行で、森繁久彌が作詞・作曲した「オホーツク舟唄」を以て、知床半島の沖合がアキアジの漁場であることを知った。
海に棲んでいるときの鮭はピンクサーモンそのものだから究極の美味食材である。
遠い土地に運ぶべきでない。大量に食べるべきでない
さて、江戸前鮨の中で最もポピュラーな魚肉と言えば、ピンクサーモンに尽きると筆者は考える。
最近の世界規模の和食ブームと鮨食の爆発的膨張は、北太平洋アラスカ周辺における、生殖行動未済成魚の乱獲と直結している筈である。
生態系の科学的合理性を無視した資本主義的食材獲得は、絶滅危惧種を増やし・巡りめぐって人類の食を細める愚行となる。
最後にもう1つ。この3.14北陸新幹線が延長開業となり、東京圏と北陸主要都市とは2時間台で直結する時代となった。伝統手工芸の金沢と鱒鮨の富山は、100年に一度の交通変革と沸騰している。
ところで、富山のマス鮨の原料は、トキシラズ=サクラマスとされる。本来の生殖行動期は、秋から冬だ。その時期を外して海から川に入るので、トキシラズとなる。2月から6月の頃=つまり桜の咲く
頃に遡上するからサクラマスと呼ばれる。遡上後は、河川上流に生息し続けて生殖行動時期の到来を待つらしい。
もう言いたい事は、お分り戴けた事であろう。
マス鮨は、高額商品のため。筆者の手には届かないが、あの見る目に鮮やかな・美味を象徴する桜色は、生態学者の良心を逆なでする刺激色だ。おそらく北太平洋岸アラスカ・カナダ先住民の伝統的食材調達に何らかの異変をもたらしているに違いない。
何時の事だったか?映画「ガイア・シンフォニー第3番」に出演した現地先住民指導者たるボブ・サムからカズノコ・ニシンの乱獲について。苦情を訴えられたことがあった。
今こそ人類は、節度ある摂食行動に回帰すべきである