おもう川の記 No.42  阿武隈川の12

阿武隈川のシリーズも、そろそろ最終コーナーである。
引続きこの川に因む人物・人脈を採上げるが、今日から始めるテーマは少し重いことになるかもしれない。
現在は福島県だが、江戸時代の終りまで陸奥国の一部であった。東北ブロックのうち、最南の一画を形成する地域である。
先の稿でもそうしたが、江戸期大名の領国配置図を眺めた。
列島には約250ほどの大名が、分散配置され。時々に取潰し(=廃藩による消滅)や転勤とも言うべき配置換えが、しきりに行われた。
福島県域に限れば、幕府開創の初めから幕末大政奉還まで。一気通貫して命脈を保ちかつ1ヵ所に留ま(転勤を免)れたのは、ただの1藩のみであった。
相馬氏・相馬藩6万石であった。
この地で名が知られる藩と言えば、新撰組を統括した松平・会津23万石、老中を出した松平・白河15万石、やや長居した丹羽・二本松10万石、だが。僅かに一気通貫条件を満たさない。
とまあ、前触れはこの程度にして・・・本題の藩は、三春・秋田氏5.5万石である。
三春(みはる)の地と言えば、かの高名な滝桜がある。
数年前に訪ねたが、その名花のスケールについて語るべき言葉を持合せない。
ここは無言で過ぎるのみ。
サクラほども知名度がない藩主・秋田=実は話題豊富な家系=の家にまつわる逸話を繙いてみたい。
さて、三春に、秋田氏が領地を与えられたのは、正保2(1645)年。つまり大坂城が陥落してから既に30年も経過した平和安定久しい時代であった。
時の領主は、秋田俊季(としすえ 在世1598〜1649 大名在位1630〜49)と言う。
普通であれば、氏名の頭に何代藩主・第○代当主とか。型どおりの説明文字が付されるものだが・・・当家の場合、検定教科書ベースの標準日本史的常識では、とても説明困難かつ理解しにくい固有の難しさが付き纏う。
常軌を逸したロングスケールの時系列モノサシが、必要なのである。
東北地方特有のローカル・ヒストリーの存立を認めるか・否か? 読者の歴史観とその許容度に従うこと、大きいものがあると言わざるを得ない。
今日の段階で、一挙にそのようなレベルに踏込むべきでないと想うので、この家系にまつわる不思議な逸話はおいおい順を追って、展開することと致したい。
ところで、三春に転入する前は、どこに居たか?
常陸国茨城郡宍戸<ししど 現・茨城県笠間市平町>であった。
秋田氏が、宍戸に滞在したのは慶長7(1602)〜正保2(1645)年までの40年やや超の間であった。
しかし、この僅かの期間にも、藩の運命が消えそうな危機があった。
俊季の実父=先代藩主・実季(さねすえ 在世1576〜1660 在位1587<幕藩大名としての起算年は1602>〜1630)が、寛永7(1630)年幕府から不行跡をもって突如蟄居を命ぜられ・伊勢国へ幽閉された。
このような場合、幕府の常道は改易・取潰しだが。何故か?この時、秋田・宍戸藩は、最悪の事態を免れることができた。
さて、問題の実季の不行跡だが、それはほぼ彼の生い立ちに起因する。
戦国乱世の末期を生残った彼だが、父の病死を受けて若干12歳の年齢で家督を継ぎ。最も緊張の度が激しかった最北端・東北の地で、兵火をくぐるばかりの少・青年期を過ごした。
その彼から、荒々しい戦国の気風が消え去ることは、終身なかったようだ。
彼の内心となればあくまでも想像の域を出ないが、秋田氏ならびにこの藩の古い来歴を考えた場合。海に面してない内陸地の宍戸に領地を与えられたことが、何事にも代えがたい究極の不満だったかもしれない。
宍戸の地は、親藩水戸家の勢力圏内でもあり。生粋の海の民である彼らにとって、海の無い内陸に居住する=その事事態が、何とも息苦しい日々であったようだ。
秋田氏と似たような境遇の大名が、もう1つある。西国は平戸の松浦氏だが、最果ての海面=平戸にへばり着き通して、幕藩大名6.3万石を幕末まで護り抜いた。
秋田氏も松浦氏も、生粋の海岸民族であり・まさにその点において希少家系である。
彼ら、言わば、水軍とも海賊とも呼ばれるマージナルな生き方を貫く海人族の生態を、大多数の列島民に、理解させることはとても難しい。
メジャーな日本人は、四海波に囲まれる環境ながら、足元の陸地を神州と信じ込み、ひたすらオカ籠りに徹する生き方に転身し・かつての渡海体験と冒険心とを忘却した。しかも、今では平和ボケに陥り、忘却したこと自体を無視し・シマグニである自然環境をも失念している。
さて、宍戸滞在約40年超・長い忍耐の期間を過ごした正保2(1645)年。念願かなって転出命令が発せられた。がしかし、にもかかわらず、新任の地三春に、またしても海はなかった。
この時から切歯扼腕の日々は、再び始まった。藩内上下各層こぞって憤懣やるかたない無念の日々は、遂に幕末までの220年間超も長々と繰返された。
もう筆を措く。今日から始めるテーマは、少し重くなりそうだと冒頭において予告したが・・・・
果して筆者による妄念と独走は、どれほどの胃モタレをもたらすことであろうか?
乞うご期待