もがみ川感走録 第19 かぶの3

もがみ川は、最上川である。
山形の特産であるカブの事をいよいよ話する。
まずは、知名度抜群の”温海蕪”である。
温海温泉は、現在鶴岡市のうちにある鄙びた名湯である。
日本海岸にごく近いが、湯船に居て海面が見える位置でもない。
ただ、「あつみ・おんせん」なる、その詠み音から古代海人族である安曇氏との関係が指摘される。
似た発音の熱海=あたみ=温泉が、静岡県にある。これも名の起こりは共通であろう。
さて、温海蕪だが。温泉地=湯温海から温海川に沿って約5kmほど上流に遡った一霞集落で作られる。しかも、焼畑で育てられたものを、ホンモノとする。
ここで焼畑農法を概説しておく。カブなど栽培植物は、15度から20度・時に40度の急傾斜の山地に植付される。山奥の畑だから当然に纏まった土地でもないし。ごく狭く、フツウ感覚の農地とはおよそ掛離れている。
まず、前年のうちに土地を選定し・概ね秋頃までに。何度も現地にへばり着き、当該斜面地に生える雑木などを刈払い、地面を露出させる。
切払った雑木は、概ね2〜4mごとに寄集め、乾燥しやすい状態にして、斜面上に置いたまま越年する。
翌年になってから、火入れするが、伐採雑木への着火は、高い場所から低地に向かって行う。
この時の燃焼灰が唯一の肥料となる。
焼畑の場合、作業場所は山奥になるから、肥料も含めて。原則として現地には何も持ち込まない。火付け道具と種・モミくらいだから、携帯品としては身軽である。
火入れの時期は、植付けする栽培植物によって前後する。栽培植物は、生長期間の短いものが最も収穫が確実となる。言うまでもない。
1回の火入れ(=つまり燃焼灰肥料も1回きりとなる)で、概ね4年ほど作付けする。
南方系と北方系の双方が入組む=複合焼畑が併存する特異地とされる白山麓だが。白峰地区の場合、火入れ1年めはヒエ、2年目にアワ、3年めがアズキ、4年目に大豆としている。もちろん固定的ではない。同じ白山麓でも岐阜県側の高山地方では、昔からカブの栽培が行われている。
さて、5年目以降だが、農地としては放棄される。約20年ほどの放棄時間をかけて、植生が自然回復して・再び雑木化が回復することを待つ。
山地から持出すものは生育した穀類や野菜だけ・山地に持ち込むモノは全く無い。この徹底した寄生農業が、焼畑農業のエッセンスであり。
稼働斜面の4〜5倍の面積の休眠斜面を保有し・計画的ローテーションを維持できれば、未来永劫ほぼ追加的資本投下なく。人は生きられる。
国の緑化奨励策などにうっかり相乗りしてスギなどを植林すると、成木までに50〜60年間のロスタイムとなり。焼畑ローテーが崩れる。
山形県庄内地域の中でも新潟県に近い田川郡は、もっとも南に位置する。同じ庄内でも平坦な地形が多く・優良農耕地=美田に恵まれる北の平野部と異なり、田川郡は、対照的に焼畑に特化した山間地域である。
その中でも鶴岡市温海町一霞集落は、戸数が少なく・特定の苗字が固まる・鶏や牛などを格別に崇める古俗を残すなど。対岸=朝鮮半島との交流が盛んであった出羽国の伝統を色濃く持ち続ける固有の風俗が見られる。
焼畑農業と言えば、定番の修飾語が付き纏う。「原始的」な農法と言う固定されたイメージである。
若かりし頃の筆者は、まさにその月並みな固定観念の持主であった。おそらく国検定教科書がでっち上げた単線史観にドップリ浸かっており、そのままであれば幸せな生涯を全うしたはずであった。
だがどっこい、三内丸山遺蹟の発掘報告が世に出て、既定の現状肯定=未来は更にユートピアなる単細胞思考史観は、地に堕ちてしまった。
他人はどうあれ。自分だけは、しっかり自己責任を全うするべく自給自足の原則を確立する方向へ方針転換した。
明確に意識しないが、ある時期 人類全人口数が自然地球が養える限界をとうに超えたと認識した。それが全方位切替の根底となったようだ。
少し脱線したらしい。本論に戻ろう
焼畑農法が、「原始的でない」とは言わないが、正しく補足しておきたい。
この場合の原始的は、ほぼ永久的な継続性を備え・しかも世界規模の空間汎用性をも備える原始性であることを明言しておきたい。
つまり、いつの時代でも・どこの地域でも通用する科学合理性を備えた伝統農法としての原始性である。
焼畑農法には、かつてローマクラブが提唱した古典『成長の限界』が掲げる人類の定常的生存のあり方を前提とした・透徹した歴史観の裏打ちがある。
焼畑農法は、爆発的に膨張する人口増加を全く想定しない。そこにこそ焼畑文化の当為性が潜むのである。
便利の殿堂である大都会の豪華マンションに住みながら、手つかずの自然こそ保護さるべきであるとの=言わば暴論を繰出す優雅な?生き方がある。
これは古代ローマ以来の自然改造を正統と信じて疑わない妄想なのだが。自分が飼っているペットの餌が、南米の原始林焼却破壊と密接に繋がる現実に感づいた事があるか?
経済とは、カネが繋げる・眼にみえない・世界的ネットそのものである。
眼の前のことしか見ない・目に見えない事は存在しないとする粗雑な頭脳の持主には、南米の原始林焼却とプログラムを持つ焼畑農業との根本的違いが理解できない。
北米に住む先住民の中には、その地を訪れた日本人旅行者から水道敷設の提案や水道建設資材の無償寄贈を提案されても、頑として受け付けない事があるらしい。
水源地と居住地との間を毎日何度も水甕をかついで往復する事を厭わない暮らし(居留地を離れて便利な都会暮らしを一度は味わいながらも、古代ローマ的自然改造を社会インフラが備わる=便利な生活を拒否する生き方)。
このような確固たる信念を外部訪問者が、安易に覆すべきでない。
便利追求こそ=至上のライフスタイルとの思い込みから、距離を置き。安易な生き方を否定する人があっていい?
ついつい脱線したようだが、”温海蕪”生産の本場である一霞集落に、現代社会病の共通課題たる高齢化・人口減少問題は、ないかもしれない。山間・狭隘の地は、何時の時代もいわゆる僻地であった。今日ただ今の問題として過疎が、急に起ったわけではないし。いつでも地域の食糧生産量に見合った人口推移が永続する事が、最も望ましい事だからである。
さて、紙数も残り少ないが。アヴァ漬を江戸に送れとの藩主からのご用命がしばしば通達された旨の記録が、現地の農政書にあると言う。
アヴァとは、東北地方で言う「お母さん」の意だが。これを韓国語風に解釈すれば、家族の中で最も弱い立場の者を指すと言う。
そう考えると、アヴァ漬=温海蕪の命名由来が一層はっきりするようだ。
山間・狭隘の地で行われる焼畑農業であるが故に、需要に応じて供給を増やす=それはできない。そこにこそ「原始の本来の意味」があると。筆者は考えたい。
最後に付け加えたい事がある。この稿を書くにあたり米沢市立図書館のE女史から専門的指導を受けた。感謝しきりである。