もがみ川感走録 第1 はしがき

今日から新しいシリーズ・題して『もがみ川 感走録』を始める。
・・・ 故 吹福寿老<=本名に代えて>に捧ぐ ・・・
山形県飽海郡の住人にして 斎藤茂吉に連なる反戦歌人
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       は し が き
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もがみ川は、最上川である。
感走録は、何かを感じつつ・河畔を走った・記憶の備忘を指す。
走るとは、筆者の場合、マイカー・ドライヴのことである。
さて、最上川だ。
これまで色々な場面で、決まり文句と出会った。
一県一河川たる国内有数の大河
山形県に生まれ・育っていない筆者は、経験的に理解することも勿論できたし、
経験の積重ねは賢者の手法であり・体験への拘りは愚者の足音でしかない、
事も知っている。
しかし、筆者は足かけ何年かを掛けて、体験して感得する事に拘り続ける。
さて、最上川は、
河口=酒田市日本海に注ぐ。
源流は、県の南端=吾妻山系の北斜面にある。
と、大抵の本にある。
「あ、そう」一瞬の理解である。
経験の成就に1秒も要しない。
効率を尊重する列島の国民性は、まず市場原理に沿い、次に瞬間経験で、ちょんだ。
筆者ももちろん、そのパラダイムに対して抵抗しようと思わない。
ただ、3.11以降少しだけだが、確認にかける手間を惜しまないように切換えている。
確認とは、本に書かれた事実を。マイカーを走らせ、その場に身を置く事。
エヴィデンスを自らの体内に取込む・言わば追っかけの足音を聞く事だ。
ここで述べた3.11以後の手間とは、下記の事情による。
F1事故のメルトダウン&メルトスルーの課題処理も済ませないまま、原発輸出を再開するような杜撰な姿勢に賛同できない。だから、どんな些細なことでも吾が事としてできる限り細かくチェックすることから始めよう。と態度を改めたことを言う。
河口には、何度も足を運んだ。色んな季節・異なる場所・時々の場面が、頭に浮かぶ。
そこから走り始めて、一度も川面から眼を離すことなく、走り続け。やがて、源流に至る。
それが筆者が想定する理想のエヴィデンス感得すなわち体験集録の完成なのだが・・・・
体験への拘りは愚者の足音だから、そう簡単に実現することはない。
課程を愚直に述べるとしよう。
イカーは、水の上を走れない。そこで地図をプロットして・なるべく川沿いの道を走る。
本流河川の延長は、224.4kmと。モノの本に書いてある。
筆者の欠点は、持続力が老人力に切替ってしまうことにある。
河口から源流部まで達する=その単純な体験を実現するために、結果足かけ何年か係った。
言い訳めいた説明だが、源流に達する途中。もっと興味をそそられる・より急いで究める必要に駆られる事態が生じて。水平移動距離概算300km 標高差約2,000mの2地点間移動に、数年係ってしまった。
それが、冒頭に述べた”何かを感じつつ・河畔を走った・記憶の備忘”が、必要となるに至った背景であり。  タイトルを「感走録」とした主な事情である。
これを以て、はしがきを終るとしよう。
序でだが、筆者個人の”記憶の備忘”であるから。実に詰らない脱線が時々ある。
源流に限れば。エヴィデンス感得は、ただの1度でしかない。米澤から猪苗代へ向かう峠道の途中、道路端に、何代か前の山形県知事が、揮毫した「最上川源流」なる標柱を確認した。
ただそれだけである。おそらくもう2度と往くことはないであろう。
河口=酒田での体験の質・量の豊富さに比べれば、極めて貧しい。
それは何故か?生命の安全のためである。
真実の源流を究めるには、西吾妻山<標高2,035m>の斜面を流れる川筋を遡り、火焔の滝をクリアーする必要がある。老人には、それを果たすだけのワザもカネもカラダも備わらない。
まだある。
実は源流を巡る複数の対立する見解の存在だ。
何故なら、自然は日々刻々変化する・・・河川総延長なる言葉がある。
屈指の大河=最上川の場合2,570kmとある。支流の河川延長をすべて累計した数値だが、支流なる上流1本ごとに源流があり・支流の数がおそらく200近い大数だから・・・殆どもう無限に近い数=体験すべき対象空間だ。
最後に、「最上川源流」なる標柱は、最上川の本流・支流=松川と言う名の川畔に立っている。
そこから川面を眺めることは至難であり、身に迫る危険がある。
よって視認に拘ることはしなかった。