か麗の島 No.22

昨年の秋頃、戦後生まれ最年長組の老年男が、なんと始めて台湾を訪問した。
その旅行記録だが、書き始めてもう半年が過ぎた。
その間に、東京国立博物館で、この6月から特別展=台北故宮博物院展示が始まった。
短い台北滞在中に、故宮に2日ほど足を運んだ。
折しもちょうど、北京故宮と共催で清代特別展を開催中であった。
例によって、予備学習なしの突撃入館だが、耳を塞いで文字に集中するぶんには・・・
何となく意味が判ったようになるのが不思議である。
課程省略だが、要するに「表意文字」文化圏に含まれる者のみが,味わう特典であろう。
我らが東北アジア圏域の他は、世界じゅう”表音文字”を常用しているから。この特典的効用を説明して理解できる者は世界でも少数派だ。
まあそんな訳だから故宮に2日通った。
アトで調べたら、館蔵品総点数が70万を超えるそうだから。2日どころか終身・毎日通っても、埒があくボリュウムではない。
ありていに言えば、同時開催中の「清代海洋史料特展」に2日通った。
中国船の構造を説明するビデオが上映され、アヘン戦争前後の要港図・要塞図の展示もあった。
中国船と言えば、ジャンクである。
外見は箱形。
素人目には、どっちが前か?後ろか?容易に判らない。
和船や西洋船のような舳(へさき=船首)の流線型波切りが見当たらない。
船と言うより木造の建物が水上に浮いている感じだ。
船の側板のカドが、建物のように箱だ。前も後ろもただ角張って、まるでリンゴ函だ。
マストと帆が高いところにある、帆船なのだ。
直立3本マスト・真四角な帆布が描かれている。
3角帆もなく・風を孕んでも変形しない帆らしく、西洋船のような快速滑走感が全くない。
以上は悪口ではない。
水面にどっしりと安定・航走する姿は、実に頼もしい。
ジャンクには、観てくれと異なり・比類無い優れた特性がある。
船体が角形なのは、船尾から船首に向かって横長の函を幾つも並べて接合してあるためだ。
そんな面倒な構造にしてある理由は、よく判らない。
古代の早い頃からアヘン戦争前後の鉄鋼製船体に切替るまで、函型ジャンク船が建造され続けたから、中国の風土によくマッチして、重宝がられたに違いない。
西洋構造船にある竜骨<キール・船体を進行方向に貫く基本部材>が無い分、吃水の浅い海や濁った河を奥地まで遡る・中国特有の運航条件に向いている。
だがジャンクにも弱点はある。
進行方向に向かって船腹を通り抜けられない。それは不便だが、その代償として、函ごとの水密区画構造がもたらす安全が得られる。一度に隔壁が破壊されて一挙に沈船となる事態が無い。
世界船舶史を通じて安全度が世界一であった。
座礁しても沈船となりにくい・この水密構造は、潜水艦や水上戦闘艦ではX・Y・Zの3方向全てに採用されている。戦闘準備命令が発動されると、全ての通路仕切が閉鎖=密封され、他の区画への移動が原則禁止される。現代船は、換気・送風・電話連絡の仕組があるから支障無いと言えるが、その昔は不便極まりなかったに違いない。
まだある。ジャンクの帆は、骨材たる竹と布の組合せで作られており、軽さと耐風性・操作性・逆風走行の面でも優れていた。
帆船でも、方向切替は主として舵に頼る。ジャンクの舵は、早い時期から艪<とも=船尾>に備えられ。西洋船に比べ著しく小型で、展示では小型舵の方が操船性が高いとしていた。
専門的にコメントする立場ではないが、吃水の浅い河では、大きく・背の高い舵は河底につかえ・実用性に乏しいことだろう。
現代の大型タンカーなども、船底は2重構造になっているから、ジャンクの建造思想は生きていると言えよう。
そのアイデアの源流は、もう判らなくなっているらしいが、竹材を組合せて筏を作って、馬や重量物などを水上輸送した大昔の智慧から派生したものであろうか?
内部が空洞で・気密な材料は、そうザラにあるものではない。パンダとジャンクは意外な組合せである。
一転、列島はどうか?
和船史=日本造船史をざっと抜読みすると、西洋構造船のキールもジャンクの水密区画構造もともに根付かなかったらしい。平安の自然鎖国や江戸時代の海外渡航禁令措置が災いしたようだ。
ただし、船舶航走史となれば、遣唐使・倭冦・御朱印交易にジャンク式の船体が使われた様子が伺える。
海外建造のものを購入したか?国内の建造記録や建造技術の伝承が途切れたか?どっちだろうか。
ところで、故宮展が始まった6月下旬の2夜、NHKスペシャルを観た。故宮の周辺情報を概観した上出来の番組であった。
11世紀北宋第8代皇帝徽宗(きそう)が、最初のコレクターで。自身も作ることに長けた文化人だったようだ。
新興・金王朝に滅ぼされ、収集した名宝類は持ち去られた。しかし、それから千年もの間、歴代の新立(つまり後継)の王朝により散逸すること無く継承され・時に収集・加増された文物もあったと言う。
特筆すべきは、膨大至極の「四庫全書」を自ら編纂し追補した清朝乾隆帝の業績であろう。
収集した古典籍類に乾隆帝自ら眼を通し、差別用語<=東夷・南蛮・西戎北狄>を捜索し・排除することに長年を費やしたとのこと。
周知のとおり、清は非・漢民族。人口シェア1%以下の少数民族が、最大漢族を統率して長い年月を保ったわけだが。
単なる軍事の力でなく・文化の力を以て、徳治する面があったことが伺われる。
私見ながら、中国の基幹は儒教である。中華の意味は、漢族の地を世界の中心・華美と自己賛美する「華夷思潮」に由来するらしい。
この2つの文化基軸を独断で解きほぐせば、宿命論と序列秩序の当然視であろうか?
生まれながらに予定され・固定化された生き方に順応せよ・・・そして
中心から遠く離れた辺境に生まれ育った者は、向けられる差別を終身受入れるべし。
その中国伝統の華夷思想に異議を唱え、民族や文化の多様性を前面に押出した乾隆帝の先見性は、高く評価さるべきである。
中国がいつの時代も変らず掲げ続ける孤高・独尊の鼻持ちならない姿勢は、どうにかしてもらいたいもの。
その意味でも故宮の所蔵する銘品の多くが、開かれている台湾に存在することの幸せを噛み締めている。
これをもって、このシリーズは終りとする。
タイトル=『か麗の島』は、周知のとおり台湾島を指すが・・・
ヨーロッパ世界に最初の発見報告をしたポルトガル語フォルモサ』からそのまま自家翻訳した。
「か」をあえてヒラガナにしたのは、華夷思想の”華”を避けたいためであり。
飾らず・そのままで美麗な土地だから、化粧の”化”もまた当らない。
長い間、ご愛読ありがとうございました。