か麗の島 No.19

老年男の”なんで今頃訪ねるか?”台湾訪問記である。
このシリーズもそろそろ終るが、今日のテーマは前稿に引続き、
台北にある名湯=北投温泉、
その温泉の妙なる効能の1つと噂される北投石を語る続編である。
温泉が発見されたタイミングと言い、北投石から放射能が出ていることが発見された世相と言い。何とも時代のうねりに恵まれていた?
来るべき科学万能の夢に酔い痴れ始めた時期と、微妙に重なっていた。
世に言う「古き良き時代」 原子核物理学の花開く草創期 そんな時代であった。
科学知識が不完全・理解度が不十分であれば、「良い時代」=誤解が成立ちやすい。
それ故のビギニング・ラックの最初の50年=科学上の新発見・新発明から50年=と
台湾植民地統治の50年とが、ほぼピッタリ重なっていた。
1895台湾、日清戦争の停戦講和として日本に引渡され、すぐに植民地経営が始まった。
同じその年に、レントゲンの主な業績であるエックス線の発見・報告された。
北投温泉の発見は、その前年の1894である。
発見者は、ドイツ人にして硫黄商人のオウリーである。
ドイツ人が?何故そこに?どうして温泉を?
誰もが抱く素朴な・当然の疑問である。
しかし、その答を導くことは難しい。
とある温泉の発見は、そのこと自体が歴史上の大事件たりえず・その後に歴史の大舞台となればまた話は別だが、それも無いとなれば。何も判らないまま推移する。
仕方なく。筆者の独断と偏見に基づく・作り話?で、もり下がるのみである。
まず抑えるべきは、やや広い時空軸としての19世紀・西太平洋の概観・遠望である。
西太平洋海域の覇権は、7つの海を支配するヴィクトリア女王統治のグレート・ブリテンのもとにあった。
当時日本列島は、鎖国なるヴェールを纏ったガラパゴス・朱鷺鳥であったが。
その極東の・狭い島の・薄いヴェールも、ペリーの黒船来航が1853、翌年1854に日米和親条約が成る。など少しづつ剥がされつつあった。
列島では元寇以来の大事件=「黒船来航と開国」・”明治政変”が起った。
この前後に隣国=清は、西欧列強による侵略戦争で2度も大敗した<1840〜42がアヘン戦争 1856〜60はアロー戦争だが=第2次アヘン戦争と呼ばれるべし>。
眠れる獅子は、ネズミも捕れない張り子の猫であるとばれてしまった。
大英帝国ヴィクトリア女王(在位1837〜1901)の期間を通じて、その地位は盤石のはずであったが。
2つのたん瘤が目覚ましく拡大しつつあった。
1つ目は、ハレー彗星のごとく出現した新人=最も遠い極東の小国ニッポンのデビューだ。
1894.8月〜翌95.3月 日清戦争に勝利して、”張り子の猫=清”から、遼東半島台湾島を掠め奪った。
2つ目のたん瘤は、ドイツの躍進である。
新人ニッポンの稼ぎ穫りにイチャモンをつける(=1895三国干渉。ニッポンに遼東半島の還付を求めた)ことで、ドイツは始めて西太平洋に橋頭堡を築いた。
ドイツの橋頭堡工築とは、膠州湾・山東省におけるドイツ海軍停泊のための租借権獲得を指す、1898までに実現した。
あの有名な青島(チンタオ)ビールが実現した経緯はこれである。
ドイツの大躍進について踏込むのは、本稿で扱う台湾紀行誌の趣旨を逸脱するが。
核物理学の素人である筆者がキュリーの業績にチラと触れた程度の脱線同様、世界貿易における3人目のチャンピオンとしてドイツが満を持して登場したこと=そしてそれが資本主義の大きな変質を意味するのだが。
行きがかりであり、簡略に触れることと致したい。
ローマが1日にして成らぬように。
大英帝国が7つの海を支配する海上覇権の黄金期は、ヴィクトリア女王の時代に、棚ぼた式に転がり落ちて来たわけではなかった。
ずば抜けた貿易大成功の背景に、繊維工業を中核とした産業革命の達成があった。
産業革命の構想戦略とは、世界から原料を英国に運び込み・加工して衣料品を完成させ・世界に運び出すことであった。
この英国人による人類史的大発明を要約すると、3つのポイントに絞れる。
1、 人類の必需物を大量・安価にかつ集中的に生産することを創案し・実行した
2、 原料はすべて当時の天然素材だが。どこにあるか?・何があるか?を、英国人は世界規模で網羅的に知っていた。
   あらゆる知識を集約する総合の科学を、この際博物学と呼ぶことにしたい。
   博物学の形成に英国は、少なく見ても150年以上を要した筈である。
3、 売るものを造り出して運ぶスタイルの世界貿易は、それまで無かった。
   各地の特産物を奪い取るか・安く買いたたき、欲しがる土地に運んで・高く売つける。
   それが在来の貿易立地論の要諦にして・・・奪い取りの有名な事件、
   1492コロンの新大陸ならぬ西インド諸島への到達であった。
   つい先日、その名を引継ぐ?コロンビアに、決勝リーグ進出の機会を奪われた
以上3点が、オーソドックスな?純正貿易論だが。
未来へ向けての現状修正を考えた場合。
天然素材と博物学への回帰は、サスティナブル恒常経済とエコロジーフィッタブル・シンプル恒常社会を構築するための大きなヒントとなるであろう。
さて、本論に戻ろう
ドイツ<=世界貿易におけるオランダ・英国に続く3人目のチャンピオン>は、意外な手段と方法を持って登場した。
合成染料の工業生産である。
驚くほどの短時間で、世界貿易に乗出した。
染料の素人である筆者が、語るのもどうかと思うが。行きがかり上踏込む。
合成とは、化学的に作るもの。即ち天然素材の染料ではないことを意味する。
ドイツは、ごく短期間のうちに。世界市場から既成の天然染料の巨大生産者である2つの国=インドのインディゴ<青色染料>とフランスのアカネ<赤色染料>=を閉め出した。
化学合成染料で、世界の染料生産シェア90%超を独占する貿易大国になった。
ここでも合成化学の持つ意味を要約して掲げ、紙数の節約を図りたい。
1、 アニリンの合成 1856 W.H.パーキンの業績。
   この後、化学は錬金術を離れて一大産業となる。
2、 化学が作り出すものの周辺は、「支離滅裂の一言」で要約される。
   欲しいものを大量に・安価に・かつ無尽蔵に、技術が資本の横暴に膝まずく限りにおいて増産も製造休止も自在であった。
   装置の中<人が立入れない高温・高圧状態の下>に、原料である炭素基材たる石炭・石油を放り込む。   
   装置の中で、どのような反応が進行し・どのような副生物や有害物質が生成されるかが判らないまま放置する。
   有価生成物にのみ関心を集中させて、派生する物に無知を通し続けて産業公害を招く。
3、 化学は装置産業であり、構成要素数が少なく、「猪突猛進の一面」を備える。
   巨大資本と技術の合体で成立つ。装置産業は、在来製造業に比べて、雇用労働も少なく・関連の裾野産業も小さい。 
   ドイツ<後に第4のチャンピオンとなるUSAも>の達成した産業革命は、重化学工業に中心があった。英国の繊維=軽工業中心のそれとは大きく性格が異なる・・・・・・
   とりわけ軍事権力との重なりを深めて、市場を支配する方向(=純粋経済の原理である競争の外での動きを言う)に大きく傾斜していった。
そろそろ本稿を纏めたい。
北投石も北投温泉も、オウリーの関心事ではなかった。よって、発見は偶然の賜物。
ドイツ人が、台湾の地に分け入って探していたものは、軍需物資であった。
硫黄は、爆薬の原料。軍事関連産業そのものである。
オウリーは、三国干渉を予告するように台湾をウロチョロしていたかも
ニッポンが三国干渉で譲歩していなかったら
彼は戦争景気の硫黄で大儲けしてしたことであろう